はじめのマイオピニオン - my opinion -
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栃木県青年会館50周年を祝う

 今回は地元ネタで恐縮だが、宇都宮市にある青年会館、通称コンセーレが、開館以来半世紀を迎えた。実はしばしば訪れるところだが、なぜコンセーレなのか、恥ずかしながら今日の祝賀会で初めて分かった。コンベンション(会議)とセレモニー(儀式)を合体した造語だったのだ。

 コンセーレのルーツは青年団にある。戦前の青年団は「大日本連合青年団」といい、地域社会の若者のまとめ役として、大変な力があった。明治天皇と昭憲皇太后を顕彰して造営された明治神宮とその外苑は、全国の青年団からの勤労奉仕と樹木の提供によって、大正の終わりに完成した。

 折角の大事業を成し遂げた青年団は、これを記念して何かを作りたいとなり、外苑の一角に青年団のための殿堂である日本青年館が建設された。それから今年で100年が経つが、現在は場所を少し移して3代目の建物となる。

 この動きに倣い、全国各地で青年会館の建設が行われたが、栃木県のコンセーレもその一つである。50年前は9つほどの青年関係団体が募金活動を行い、皆んなで建設費を賄うという、全国でも稀なケースと言われている。当時はそれほど若者が多く、かつ力を持っていたことの証左だろうか。

 現在コンセーレには青年団体ばかりでなく、社会教育、社会福祉、国際交流、スポーツなど、幅広い分野の団体が集まってくる。実は我々の作新学院高校硬式野球部が、地方大会の前にここで合宿を行い、甲子園出場と優勝の原動力になったことも記しておきたい。

 私は大学の教育学の卒論に、この大日本連合青年団の戦前日本における役割を取り上げた。だから最近の神宮外苑の無秩序な、商業的な再開発に対しては、100年前の青年たちの想いを踏みつけるものではないかと、反対を唱えて来たのだ。もちろん都会における貴重な緑を守ろうという考えにも賛同しているが。

 大きな役割を担って来た栃木県青年会館も老朽化の波に勝てず、そろそろ建て替えのタイミングを迎えつつあると聞いている。しかしどうやってその資金を集めれば良いか、かつてのように青年組織の力は残念ながら弱まっている。
今後県や市を巻き込んで、何とか青年のための殿堂を残してもらいたいものだ。

[ 2025.05.27 ]
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