今年もあとわずかとなったが、今年静かに流行った言葉に「シンギュラリティ」(技術的特異点)というのがある。最近、進化のスピードを増して来たAI(人工知能)が爆発的に進化を遂げ、人類のあらゆる活動に大きな影響を与える現象というような意味で使われている。それが出現するのは2045年頃らしい。そう先のことではない。
シンギュラリティは肯定的に考えると、人類の進化にさらなる弾みをつけ、生活の質を飛躍的に向上させる可能性を持つ。人々は苦役的な労働から解放され、誰もが快適な生活環境を享受できるかもしれない。
しかし一方では、シンギュラリティを否定的に、あるいは警戒の目を持って見つめる向きも多い。例えば人々の現代の仕事のうち、6割以上がAIに取って代わられ、我々は新たな仕事を創出しなければならなくなる。またAIの恩恵を享受出来る部分とそうでない部分との間に格差が生じ、一層拡大する危険も指摘される。
さらにSF的ではあるが、AI自身が感情や意志を持つことも考えられ、人類とフレンドリーな関係にあれば良いが、もし人類を滅ぼす方向になるとしたら、世の中は致命的に破壊されるかも知れない。アーサー・C・クラークが著した『2001年宇宙の旅』における人工知能HALLや、手塚治虫の火の鳥シリーズに描写されている万能頭脳などが、フィクションでなく現実になるかも知れないのだ。
シンギュラリティの時を人類がハッピーに迎えられるためには、今のうちからAI技術者や社会学者のみならず、哲学者、倫理学者、宗教家たちがその領域を超えて、AIの効用と危険性を真剣に議論し、「AI倫理法」のような人類共通のルールを決めておく必要があるのではないだろうか。