昭和27年に日本がGHQからの占領を解かれ、独立国家として歩み出したのち、次なる課題は憲法改正だと岸信介元総理は決意した。しかしこの悲願は70年経った今も実現していない。当時公職追放を解除されて政界に復帰した祖父・船田中も、日米安保体制を確かなものとすべく、岸元総理とともに働いた。憲法改正はその孫である安倍総理の悲願であると同時に、私のライフワークでもある。だから総理の強い思いは、痛いほどよく分かる。
しかしだからといって、他の法律と同様に国会の多数をもって性急に憲法改正に突き進むことや、行政の長として改憲のリーダーシップを握り、その内容や期限をあらかじめ提示することには、慎重でなければならない。もちろん与党第一党の党首として意見を述べることは当然だが、両方の立場を使い分けることは極めて難しく、国民には分かりにくい。
憲法改正というテーマは、まず国民を代表する国会が原案を提示し、国民自身が投票して実現するという、民主主義の基本中の基本の手続きである。だから時の内閣支持率が高かろうが急落しようが、本来憲法改正とは直接関係はない。国会が決めること、国民が決めることを、これまでも淡々とやってきたし、これからもやって行くしかない。
マスコミの多くは、憲法改正と政局をすぐに結びつけたくなるようだ。国会を舞台として議論することだから、全く政局の影響を受けないことはない。しかし両者を殊更関連付けて報道するという姿勢は、憲法改正についての国民の真面目な考えや議論に水を差しかねず、国民世論をミスリードする危険性すら考えられる。慎重な対応を切に願っている。
政権・与党内では、国政選挙と国民投票を同時に実施するのが望ましいという意見が散見される。私は2つの理由でこれに反対する。
一つは運動が混乱するからである。国政選挙における選挙運動は言うまでもなく、公職選挙法により様々な規制がかかっている。 一方の憲法改正国民投票運動は原則として自由である。これらが同時に進行すると、両者が渾然一体となって現場が混乱するばかりか、国民投票運動にかこつけて選挙運動を有利に運ぶ輩が出てこないとは限らない。
もう一つ、これはより本質的だが、政権を争う国政選挙と、基本政策を問う国民投票を一緒にすると、純粋に政策を選ぼうとしているところに「誰を選ぶか、何党を選ぶか」という要素が絡まり、それが出来なくなる恐れがある。昨年の英国におけるEU離脱を決めた国民投票や、上院の権限を軽減するための憲法改正案の否決は、まさに政局を巻き込んでしまった悪例である。
最後に指摘したいのは、民進党をはじめ野党の皆さんも、憲法改正を政局化しようとしていることだ。「安倍政権のうちは改正はしない。改正に応じない」というプロパガンダがそれである。同じ改憲内容であっても、この人が総理の時はやらず、あの人ならばやるというのは、公平な態度ではない。自ら政局と結びつけて、国民に与えられている改憲の権利を奪うことにはならないか。あらためていただかなければならない。