地球上の生物の種は750万種とも言われる。哺乳類が6,000種、鳥類が9,000種、菌類を除く植物が27万種、最も多い昆虫が95万種となっている。そのうち我々が名前を付け、同定している種はわずか175万種で、全体の23%強に過ぎない。7割以上が未知の生物だという事実は驚きだ。
なぜこのように多様な種が存在するのか。それはまず、地球上には様々な自然環境があり、それに適応するために、多様な能力を身につける必要があったからだろう。また生物同士、種の間で縄張り争いがあり、それに打ち勝つために他とは違う能力を開発しなければ、生きていけなかったのだろう。
そしてもう一つ大切な理由は、生物全体が生き残るためには、出来るだけ多くの種を創り出し、そのことで耐性(レジリエンス)を高めることではないのだろうか。単一の種だったり少数の種では、それが絶滅したらおしまいになるからである。多様性は生物が地球上で生きていくために身につけた、とても重要なそして必然の特性と言えるのではないか。
実はこのことは人類にも、人間社会にも共通することではないか。性別はもちろんのこと、顔や体つきや性格や、ものごとの考え方が多様であればこそ、安定した社会が実現しているということだ。もし人々が単一の考えしか持ち合わせていなければ、独裁者にとってはこれほど理想的なものはない。しかし過去の独裁者が悉く失敗したことは、歴史が証明している。
多様な考えや特性を持った人々をまとめていく装置としては、議会制民主主義があるが、必ずしも万能ではない。また最近その装置にガタが来ていることも、認めなければならない。トランプ大統領はその間隙を突いて、独裁的振る舞いをし始めている。しかもそれはアメリカ国内だけに限らず、「相互関税」という無理筋の道具を振り回し、世界中に保護主義という毒素をばら撒いている。
我々はもちろん独裁的大統領を批判するばかりでなく、人間社会の多様性を守り、それをまとめ上げていく議会制民主主義という装置を守り、改善していく努力を惜しんではならない。