人気大河ドラマだった『光る君へ』も最終回を迎えた。平安時代に権力の座にいた藤原道長と、「源氏物語」を著した紫式部との心の通い合いが、物語の根幹を成している。歴史的事実からは離れているようだが、物語としてはよくできていたと思う。
このドラマではもう一つ重要なアイテムがあった。それが月である。二人が離れ離れになっていても、同じ月を見ている相手に思いを馳せる場面が何度も登場した。太陽の場合はそうはいかない。
ところで近隣の方々に、なぜ向きの満ち欠けがあるのか?三日月はいつも夕方、西の空に見えて、半月は夕方、いつも南の空に見えるのか?満月は真夜中、いつも南の空に見えるのか?と聞かれる機会が多い。小学校の理科で習ったはずだが、大人になるとなぜか忘れる人が多い。
月の光は太陽の光を反射するだけであって、また地球の周りを27.3日かけて公転するからだ。太陽と月と地球の位置関係から、月が太って見えたり、痩せて見えたりするからだ。また偶然なことに月が地球を回る公転と、自分が回る自転のタイミングが一緒のため、常に地球から見える月の表面は変わらない。この現象は遠く平安の時代から現在まで、さらに将来も変わることはない。
月の存在は物理的にも大きな影響を与える。最大のものは潮の満ち引きである。満月と新月の時は、太陽と月の引力が一直線に並ぶため大潮となり、半月の時はそれらの引力が90度ずれるため小潮となる。海亀は大潮の時を狙って海岸の砂地に卵を産みに上陸し、サンゴも大量に海中に卵子と精子を吐き出す。
地球の生命はもちろん太陽によって育まれるが、月の満ち欠けや潮汐力によって、地上で生活出来る生き物を作り、高度な知能を持った哺乳類を作ることができた。つまり月が存在しなかったら、我々人類はそもそも生まれなかったに違いない。だからというわけでもないが、我々は月の明かりに魅了され、懐かしささえ覚えるのは当然のことなのだろう。