新年早々、能登半島地震が発生し、多数の犠牲者と甚大な被害が出てしまった。心からのお悔やみとお見舞いを申しあげなければならない。全力で支援活動を行って参りたい。
また羽田空港における日航機と海上保安庁機が衝突炎上し、幸い日航機の乗客乗員は全員無事脱出したが、海保隊員5名が犠牲となってしまった。徹底的な原因究明と再発防止に努めなければならない。
さて昨年末は、自民党安倍派などの政治資金パーティの不正な資金還流捜査や、選挙買収疑いの柿沢未途議員の逮捕など、政界の不祥事が次々と発覚し、慌ただしい年の瀬となってしまった。岸田内閣の支持率も以前から低迷していたが、これらの事件の影響により、さらに危険水域に落ち込んでしまった。
これらの影響は嫌疑をかけられた一部の議員に留まらず、自民党全体が国民から疑惑の目で見られ、その信頼を失うことに直結している。かつての政権交代前夜のような雰囲気になっており、一部の議員の謝罪や辞職では済まされる状況にはない。我々は解党的出直しを求められている。
既に岸田総理や自民党幹部からは、旧年中にいくつかの対応策が述べられた。当面派閥主催のパーティを自粛すること。派閥パーティの資金収支管理に党本部を関与させること。政治資金のやり取り全てを銀行口座で行うこと。さらにはパーティ券購入者の公開を、20万円から個人寄付並の5万円に引き下げるなどである。その多くは政治資金規正法改正を伴う。しかし私はこのような小手先の改革では、国民の信頼を回復することは不可能だと考える。
思い返せば、自民党議員が不祥事を起こすたびに、政党として身を切る改革を行ってきた。昭和から平成になる前後に発覚したリクルート事件を受けて、自民党は「政治改革大綱」を取りまとめ、閣僚や党幹部の派閥離脱や、政治家の選挙区への寄付の禁止を盛り込んだ。平成5年頃の佐川急便事件を受けた細川政治改革では、政治家個人への企業・団体献金の禁止をはじめ、派閥発生の元凶と見做された中選挙区制を廃止して、小選挙区比例代表並立制への移行を実現させた。
小選挙区制への移行は、自民党派閥の解消ないしは弱体化を実現させると考えられていたが、議員の選挙や資金提供、人事の差配など、基本的な派閥の役割は温存され、むしろ強化されることになった。この度のパーティ券収入の不正還流は、派閥活動の最も醜い部分を露呈したものと言える。細川政治改革に積極的に参画してきた私としては、政治改革の原点を見失い、派閥の活動を漫然と見過ごしてきたことについて、大いに反省しなければならない。
私は先日のマイオピニオンで「派閥の解消を真剣に議論しなければならない」と述べたが、その後、同僚議員から「政策集団としての派閥の役割はなお必要だ」との指摘があった。確かに日本の将来像を目指して志を同じくする仲間が、政策や政治実践を磨くことは、自民党のみならず日本政治全体としても有用である。私が真に意図するところは、単に派閥をなくすことではなく、派閥の役割を抜本的に変えるべきだという点にある。
具体的には、
①閣僚や党幹部役員は、1989年の大綱にあるように、必ず派閥を離脱すべきである。
②派閥主催による政治資金パーティは、今後一切行うべきではない。
③派閥による政務三役や自民党幹部人事への介入を禁止すべきである。
これにより派閥の役割は、政策立案とそれを実現するという目標が中心となり、政治資金を集める役割は極めて限定される。その代わり派閥の政策活動を支えるための資金は、自民党本部から人数に応じて支援出来るようにする。無派閥の議員にも同様の措置を取れば良い。
1989年の「自民党政治改革大綱」の冒頭には次のような言葉があった。
『いまこそ事態を深刻かつ率直に認識し、国民感覚とのずれをふかく反省し、さまざまな批判にこたえ、「政治は国民のもの」と宣言した立党の原点にかえり、党の再生をなしとげて国民の信頼回復をはたさなければならない。』
この言葉を35年も経って引っ張り出さなければならないのは残念だが、我々はもう一度この言葉を思い起こし、今度こそ本気で政治改革を成し遂げなければならない。