対話型AIの代表選手である「チャットGPT」の件は、去る2月のマイ・オピニオンで触れたが、この分野で新しい展開があったため、再度言及したい。それは「チャット」を開発したオープンAIのCEO、サム・アルトマンが日本を訪れ、岸田総理とも面会したとのニュースに触れたためである。
アルトマン氏が来日を急いだ背景には、イタリアが個人情報保護の観点から、全面使用禁止措置をいち早く発表したほか、欧州の一部で追随する国も出はじめたことがある。大きな市場を持つと期待される日本には、禁止されないうちに釘を刺したかったのだろう。
日本政府としては、禁止や規制は当面考えていないと、松野官房長官が定例記者会見で述べたが、まだ明確に方針が出たわけではない。実際、国内の各大学の対応はバラバラだし、文科省もまだ方針を示すまでに至っていない。教育界の一部では、チャットGPTを常用することになれば、子どもたちや学生の思考力が落ちたり、文章作成能力が育たなかったりと、やや厳しい対応を迫る可能性も指摘される。
しかしこの画期的な道具を締め出すと、日本の今後の成長の芽を、また一つ潰しかねないと私は懸念している。チャットGPTは研究論文、行政文書やビジネス文書、議会の質問書や答弁書、文学作品、学校でのレポート、私信やラブレターに至るまで、多岐にわたる文章作成に革命を起こしかねないが、この技術を積極的に取り入れてビジネスなどの効率を高めるチャンスでもあり、むしろ日本は世界に先駆けて使用上のルール形成を構築すべきではないか。
ルールとして考えられるのは、チャットGPTを利用した場合はその旨を明らかにすること。個人情報の保護を何よりも優先すること。フェイクニュースなどに悪用しないことはいうまでもない。そして最も大切なことは、チャットGPTの文章作成能力を上回る独創性や正確性を、利用する人々に要求するとともに、意思決定を絶対にこのAIに任せないことである。「生殺与奪の権を他人に握らせるな」という富岡義勇のセリフを思い出しながら。