スポーツの祭典といえばまずオリンピック、世界大会を想起する。国内ではまず国民体育大会だろう。現在栃木県では42年ぶりに「いちご一会とちぎ国体」が開催されている。コロナ禍のために3年ぶりの開催となる。それだけにアスリートたちの躍動に惜しまない拍手が贈られている。まもなく終了となるが、開催県が天皇杯(総合一位)・皇后杯(女子一位)が獲れるかに関心が集まる。
もちろん天皇杯を獲得することが唯一の目的ではないし、点数至上主義ではいけないが、やはり大会の成否はそれによるところが大きい。開催県は予選なしで出場できるというアドバンテージがあるが、昨年の東京オリンピックで強豪選手を集めた東京都が、例年以上に強さを発揮している。栃木は各種目で快進撃を続けているが、できるだけ多くの競技種目に出場して、かなり頑張らないと東京には勝てない。
それはともかくとして、全国から集まったアスリートたちが出身県や自己の名誉のため、フェアプレーの精神を踏まえつつ、全力で躍動する姿は、見ている我々の心を元気付けてくれる。昨年の東京オリンピック・パラリンピックでも無観客ながら、世界の一流アスリートたちが躍動した光景は、今でも熱く脳裏に焼き付いている
ところが東京オリンピックをめぐる汚職事件が発覚し、捜査が続いていることは誠に残念だ。事件の背景にはオリンピックの商業化が挙げられる。商業化の波は1984年のロサンゼルスオリンピックから始まったと言われている。当時はアメリカ3大テレビネットワークが、放送権を巡って熾烈な闘いを繰り広げていた。
その後のオリンピックでは、放送権に限らず、ロゴやマークの使用権売買、関連グッズの販売権など、膨大なお金が動く仕組みが出来上がっていった。今回の事件は、オリンピック組織委員会の元理事が、複数の業者からの資金提供を受け、オリンピック関連事業の参入に便宜を図ったというものだ。理事はみなし公務員と位置付けられており、高度な倫理観が求められていたはずだが、35人いた理事のうちの最有力者が、それを虚しく破ったことに怒りを禁じ得ない。
スポーツ界をはじめとしてさまざまな分野から集められたという経緯もあるため、理事会という組織の統制が取れていなかったかも知れない。だからこそ責任の所在を明確にしなければならないはずだが、それが上手くできていなかったようだ。しかし少なくともスポーツの祭典に深く関わる立場なのだから、選手同様フェアプレーの精神を持つべきであるし、商売を絡めてはいけないはずである。
オリンピックのレガシー作りのため、Beyond2020の活動が各地で行われているが、この不祥事のために霞んでしまったのは残念である。負のレガシーとしてもう一つ指摘しておきたいのは、先日の私のオピニオンでも指摘した、オリンピックのメイン会場のある神宮外苑の再開発問題である。詳細は避けるが明治神宮造営の歴史的財産を、大規模開発により台無しにしてはいけない。環境や景観の破壊をしてはいけない。これ以上負のレガシーを作らないように、アスリートたちに顔負け出来ないような事態を起こさないようにしなければならない。