コロナ禍の中、ようやくのことで東京オリンピックが開催され、日本選手の活躍もあって、大いに盛り上がった。その興奮が冷めやらぬうちに、今度はパラリンピックがスタートした。車椅子ラグビーやバスケットなど、熱戦が繰り広げられ、ハンディキャップを全く感じさせないプレーに魅了されている。人間の能力には限界はないのだという驚きと興奮に包まれている。
実は夏期オリンピックとパラリンピックが同じ都市で開催されるのは、割合最近のことである。最初のケースは1964年の東京大会であり、その後しばらく別都市開催が続いたが、1988年のソウル大会で再現してからは、毎回になった。またIOCがパラリンピックの開催母体であるIPCを助ける仕組みも出来上がり、質量ともにオリンピックに匹敵するパラが開催できるようになったという。
パラリンピックの参加者は、身体障害者(上肢・下肢および欠損、麻痺などの肢体不自由、脳性麻痺、視覚障害、知的障害)となっており、聴覚障害者はデフリンピック、精神障害者はスペシャルオリンピックスという別の競技会がある。それぞれ長い歴史と経緯があるようで、一つに纏まることは難しいようだ。またパラに参加する知的障害者については、過去に不正があり、一時不参加だった時期がある。
障害の程度は人により様々である。その程度が大きく違っては勝負にならない。障害の程度に応じて細かくクラス分けをして、個人競技では同程度の実力の持ち主が競い合う工夫をしている。団体競技では障害の程度を点数化して、チームの参加者の合計点が何点以下になるようにして、条件を同等にするという工夫も面白い。
参加選手はみな障害を乗り越えてプレーしていて、見るものに感動を与える。また「人間とはこんなに能力が発揮できるのか」とか、「健常者の定義とはなんだったんだろう」と考えさせられることしきりである。選手のインタビューを聞いていても、とても明るく元気を与えてくれる。パラの魅力をもう少し堪能していたい。
そうした中、アフガニスタンからの選手は誰も参加できなかった。国の存亡がかかっている状態ではそれどころではない。オリンピックもパラリンピックもまさに「平和の祭典」であって、平和でなければ成り立たないという現実を再確認することとなった。命懸けで脱出を目指している人々の安全を祈るとともに、アフガニスタンに平和な日々が再び訪れることを、切に願わなければならない。