今年も8月6日の広島原爆の日、9日の長崎原爆の日を厳かに迎えた。76年という長い年月が経過したが、ようやく解決の方向が示されたことがある。言うまでもなく「黒い雨」訴訟であり、政府が上告しないことを決定し、原告の訴えが公に認められたのである。
「黒い雨」とは広島に原爆が投下された直後、爆心地から遠く離れた広島市郊外に、放射性物質を大量に含んだ雨が降り、それにより多くの住民が被爆したことである。直接の被爆を受けた人には被爆手帳が交付され、国費により手厚い治療が受けられたのに対して、この雨が降った範囲が明確ではなかったとして、その被爆者の一部には交付されてこなかった。
これを不服として被爆者の団体が国を相手に訴訟を起こして来たが、原告も高齢化し、黒い雨の実態もかなり明らかになって来たため、菅総理は上告を諦め、結果手帳交付を国に命じた広島高裁判決が確定した。
同じようなケースとして、小泉内閣当時ハンセン病の長年にわたる隔離政策が誤りだとし、国に対して名誉回復と損害賠償を求めた裁判で、小泉総理が上告を断念したことがあった。さらに優生保護法のもとで強制的に不妊手術を受けさせられた人々が、国に対して起こした訴訟についても、今後国が法廷闘争をやめる可能性もある。3番目のケースになるかも知れない。
なぜこのような訴訟が起こり、裁判が長引いてしまうのだろうか。因果関係の複雑さや行政の公正さへの配慮もあるかと思うが、やはり国の過去の政策に対する「無謬性」を守りたいという、官僚の硬直的姿勢が影響していると思う。もちろん行政行為に誤りなきを期すことは当然だが、時代の変化や環境の変化によって、政策決定当時は正しかったことが、のちに正しくなくなることもあることを、官僚は認識すべきである。
「過ちて改めざる、是を過ちという」という有名な論語の一節を、全ての官僚、行政パーソンに贈りたい。