先日は印章制度・文化を守る議員連盟(いわゆるハンコ議連)総会に出席した。出席議員は私を含めて4名と長崎幸太郎・山梨県知事のみだった。取材に来たマスコミ関係者の方がずっと多かった。ほかの部会などが重なっていたこともあるが、熱気のある会合と思っていた私としては、やや寂しい総会となった。
コロナ禍を受けてのテレワーク、オンライン授業、遠隔診療などが本格化し、例の「特定定額給付金」10万円の給付作業において、個人情報がデジタル化されていなかったり、されていても自治体間で共有されていなかったりで、混乱や遅延を招いてしまった。
これらの反省からDX(デジタル・トランスフォーメーション)の掛け声が菅総理から発せられ、平井デジタル担当大臣の任命、河野行革担当大臣の行政手続きからのハンコの排除司令、上川法務大臣の婚姻・離婚届からのハンコ不要宣言など、めまぐるしくハンコ行政の脱却が叫ばれ始めた。
ハンコ議連総会では、激しい逆風が吹いている印章業界から、その製造業者を多く抱えている山梨県知事をはじめ、悲鳴とも言える切実な要望を聞くこととなったが、私からも次のような意見を述べた。
①「ハンコは悪である、無くしてしまえ」という風潮は行き過ぎではないか。行政手続きにおけるハンコは極力なくすべきだが、ハンコを必要としている人や文化は無くしてはならない。
②あらゆる分野でDXは浸透していくだろうが、その光の当たらない部分や、DXの弊害ということも合わせて考えないと、世の中に新たな格差や偏見が生まれかねない。
③印章そのものをデジタルデータに載せる技術もあるはずで、ハンコとデジタルの両立を模索すべきである。
④印章はヨーロッパの家紋の「封蝋」や、中国や日本での「落款」や蔵書印など、それぞれの国の伝統文化や芸術につながっている。印章文化の継承に政府は配慮すべきである。
言うまでもなく私は、DXの方向性やや行政の効率化に反対する立場ではないが、ハンコの存在をなくしてしまうような急進的な風潮には警鐘を鳴らしたい。ハンコとデジタル化の両立が図れるような、柔軟で温かい政策の遂行を期待してやまない。