大型連休前後から、7月の参議院議員選挙に合わせて衆議院議員選挙もという「ダブル選挙」が取りざたされて来た。戦後政治でダブル選挙が行われたのは、昭和55年の「ハプニング解散」、昭和61年の「死んだふり解散」の2回だった。2回とも現役として経験した議員は私も含めて数名しか残っていないため、最近はこれに関する取材を多く受ける。
55年のハプニング解散とは、その前の年大平総理が「一般消費税」を掲げて闘った衆院選で敗北を喫したことに始まる。福田派や中曽根派が、大平総理の退陣を要求して、40日間も首班指名が出来なかった。ようやく治ったかに見えたが、次の通常国会終盤に野党が提出した内閣不信任案を否決すべきところ、反大平勢力が櫛の歯が抜けるように議場を抜け出し、とうとう可決されてしまったのである。
私は初当選議員でわずか7ヶ月にも満たないのに、まさに青天の霹靂とも言うべき事態に遭遇した。その後選挙中に大平総理は心臓病が悪化し、現職で亡くなられた。大平派(宏池会)の候補者は喪服を着て弔い合戦の様相を呈し、同情票もあって衆参ともに圧勝した。政治の激しさを目の当たりにした。
61年のダブル選挙は中曽根内閣の時で、この時は少し前から噂が流れていた。しかし国会日程上衆議院を解散しても、参議院選挙と同日にはならないことが判明して、解散風は急に止んだ。ところがウルトラCが隠れており、通常国会閉幕後、突然臨時国会が招集され、冒頭解散という奇策に出た。政界もマスコミ界もダブルは消えたと信じて疑わなかったため、まさに死んだふりに騙された。この時の選挙も衆参ともに大勝し、中曽根総理は「左ウイングも取り込むことが出来た」と豪語していた。
ところが今回のダブル選挙の風はかなり長時間吹き続け、与党はもちろん野党側にも対応の時間を与えている。過去2回のダブル選挙は突然の事態であったから大勝できたが、今回は果たして効果が現れるか疑問が残る。
加えてダブル選挙は、衆議院、参議院それぞれの機会に民意を問うところ、その機会が一つ減ることになり、両院の勢力図も似通ってしまう。二院制である意味がなくなりかねないという、国会の自殺行為ではないか。
さらに過去2回の時の選挙制度は、衆議院は中選挙区制の一票、参議院は地方区と全国区の二票を投じればよかった。もちろんこれだけでも有権者は大変だが、今は衆議院の小選挙区と比例区(政党名のみ)、参議院の選挙区と比例区(政党名か個人名)の合計四票を書かなければならない。とても複雑でよほど前もって心を決めて行かないと、投票所で戸惑う人が続出するに違いない。
こうしてみるとダブル選挙は与党にとってもメリットが少ないばかりか、二院制であることの意義も失われ、国民の意思表示の機会も少なくなり、真っ当な民意の反映が乱される危険性すらあるのではないか。
もちろん衆議院の解散権は総理大臣にあり、その意思にしたがうのが与党の役目だが、以上述べたような問題のあるダブル選挙については、自らの経験も踏まえて、極めて慎重でなければならないと私は考える。