はじめのマイオピニオン - my opinion -
船田はじめが毎週月曜日に提言するメールマガジン。購読ご希望の方は下記フォームからお願いします。
お名前
メールアドレス
    配信停止申込
タイブレーク制度の評価

 かつて10回連続で栃木県代表で夏の甲子園に行っていた作新高校硬式野球部は、この4年間甲子園から遠ざかっている。この夏も決勝まで進んだが、タイブレークの結果、甲子園出場を逃した。準決勝では逆にタイブレークで勝たせてもらったが、決勝で負けた相手チームも、また甲子園1回戦でタイブレークで涙を飲んだ。

 県大会や甲子園での高校野球の日程消化のため、また暑さ対策のため、延長10回からノーアウト1、2塁からのタイブレークは、確かに試合を早めに決めるためには、とても効果的なのはよく理解できる。また9回も攻防を繰り返し、決着が付かなかったらこの制度もやむを得ないだろう。

 しかし学校関係者としても、高校野球ファンにとっても、半ば強制的に試合終了させられる気持ちは、なかなか整理できないところがある。歴史に残る長時間の名試合と言えば、延長戦に限定ルールのなかった、昭和8年(1933)全国中学校野球優勝大会の準決勝、中京商業対明石中学校の延長25回を1対0で、中京商が制した試合が挙げられる。約5時間の死闘だった。

 その後は延長は18回までとなり、それでも決着が付かなければ、再試合というルールになった。昭和33年(1958)の夏の甲子園順々決勝で、徳島商業対魚津高校が延長18回でも決着がつかず、翌日の再試合で徳島が3対1で勝利した。徳島の板東英二投手はその後プロ野球でも大活躍し、タレントとしても人気を博した。

 余談だがその時の夏の甲子園で、初出場した作新学院はいきなり準決勝に進み、徳島商業に1対4で負けはしたものの、あの板東投手と互角の戦いを演じたことは、作新の野球の歴史に輝いている。

 昭和44年(1969)の夏の甲子園では松山商業と三沢高校の決勝戦で、延長18回でも勝負がつかず、翌日再試合では4対2で松山商業が優勝した。三沢高校の太田幸司投手は爽やかなルックスでアイドル扱いをされたことは、記憶に残る。

 このように時間はかかったが、手に汗握る大接戦は、高校野球ファンならずとも多くの国民がラジオやテレビに釘付けになり、多くの人々の記憶に納められたのである。現在のような延長戦即タイブレークでは、このような名試合は生まれないかもしれない。また選手からすれば互角に試合を進めながら、最後に実力以上に運により左右されがちなタイブレークで決着させられるとしたら、それまでの努力はなんだったのだろうかと、悔やんでも悔やみきれない。

 暑さ対策や選手の過度の疲労を招かないことを考えると、タイブレーク制度の導入は避けて通れないかもしれないが、もう少し選手や野球ファンの声を反映させた試合ルールを模索する努力をして欲しいと願っている。

[ 2025.09.01 ]