はじめのマイオピニオン - my opinion -
船田はじめが毎週月曜日に提言するメールマガジン。購読ご希望の方は下記フォームからお願いします。
お名前
メールアドレス
    配信停止申込
イスラエルの暴走と英国の責任

 イランのテヘランでハマスの最高指導者イスマイル・ハニヤ氏が、空爆により殺害された。ほぼ同時期にシリアでも、ヒズボラのシュルク司令官が殺害された。いずれもイスラエルの犯行と目される。ネタニヤフ政権はガザ侵攻の成果が芳しくなく、停戦交渉においてもアメリカの後押しが期待できないことに焦りを感じているのだろうか。国内世論を繋ぎ止めるため、一か八かの強行手段に打って出たのではないか。

 ハマスもヒズボラも報復を示唆しているが、両者の後ろ盾であるイランがどう動くかが今後の焦点になる。確かに今回の暗殺事件で完全に顔を潰された格好だが、ペゼシュキアン新政権が発足したばかりで、すぐに本格的な報復攻撃に着手する余裕はない。アメリカも大統領選挙を間近に控えており、イランとの直接対決は望んでいない。停戦交渉が遠のいてしまう点ではイスラエルの思惑通りになったが、大国を動かすほどのモメンタムはなかなか生まれないのではないか。

 ところでなぜこのように、中東情勢は複雑怪奇でいつも揉めるのだろうか。古くはローマ帝国がユダヤ人を追い出したことに起因するが、近現代の歴史においても、様々なことが起こっている。具体的には、ヨーロッパ各地に広く住んでいたユダヤ人たちは、「カナン(約束)の地」(これは現在のイスラエルにほぼ重なるが)に戻ろうという「シオニズム運動」を19世紀から取り組み始めた。一方20世紀に入り、第一次大戦最中にイギリスを中心として、次のような協定や宣言が取り交わされた。

 まず1915年10月には、アラブ人の中東における居住地を支持する「フサイン・マクマホン(英外交官)協定」、1916年5月には、英仏露による中東分割を目論む「サイクス(英政治家)・ピコ協定」、そして1917年11月には、パレスチナにおけるユダヤ人居住地建設を約束した「バルフォア(英外相)宣言」が、わずか1年余りのうちに立て続けに取り交わされた。

 これら3つの約束は、互いに矛盾する内容を含んでおり、「イギリスの三枚舌外交」と呼ばれる。このような複雑な取り決めが、今のイスラエルとパレスチナの問題を引き起こし、複雑にしていると言っても過言ではない。

 今やイギリスはかつての大英帝国の勢いはなくなり、世界の警察官を自称してきたアメリカに、世界を動かす力が移行してから久しい。中東においてイギリスが出来ることは大きくはないけれど、このような歴史的背景を考えれば、中東という複雑なパズルを解くために、もう少しその力を発揮する責任があるのではないだろうか。

[ 2024.08.05 ]