去る7月14日(現地は13日)共和党大統領指名大会の直前に、トランプ候補はキャンペーンで訪れたペンシルベニア州バトラー市で、演説中に20歳の若者から銃撃を受け、右耳を負傷したが、命に別状はなかった。この時観客の1人が命を落としている。ご冥福を祈るばかりだ。
演説が始まって6分後に、トランプ氏が用意されたパネルに顔を向けた途端の発砲で、もし顔を向けなければ頭を貫通していた可能性も否定できない。まさに危機一髪というところだが、一旦縁台の影にうずくまったトランプ氏は、耳から出た血が頬を伝う中、シークレットサービスに抱きかかえられながらも、拳を振り上げて健在であることをアピールした。
その姿が有能なカメラマンによって撮影されたが、その構図は星条旗をバックにしたもので、フランスの画家ドラクロワがフランス7月革命をテーマにして描いた「民衆を導く自由の女神」と、そっくりだと話題を呼んでいる。言われなき暴力に屈しなかったトランプ、命懸けでアメリカを守るトランプを印象付けるには、十分過ぎるくらいの写真である。
しかしあのような混乱の時に、完璧な構図の写真が果たして取れるのだろうか?極めて有能なカメラマンならば撮れるかも知れないし、さらにいくつかの偶然が重なった産物と考えられなくもないが、それにしてもあまりに出来過ぎな感が否めない。
また犯人と標的の間は135mと、高性能なライフル銃であれば至近距離である。その場所がシークレットサービスの警戒エリア外だったというのは、俄には信じられない。犯人が梯子をよじ登り、屋根の上に寝そべった姿を、近くの観客が目視しており、地元警察にこのことを知らせたが、迅速な対応をしなかったというのも、解せない。
さらにトランプ氏が起き上がって拳を振り上げたのは良いが、犯行からわずか1分後であり、犯人は射殺されて安心できるものの、単独犯行であったか否かを判定するには、あまりにも短い時間ではないか?現場の危険度が払拭されていない中で、トランプ氏をあのような姿で公衆の前に曝け出すのは、危険すぎると思わないのか?
これまでのいくつかの「はてな」を合理的に説明出来るとしたら、ある程度演出された所業と私は思わざるを得ない。もちろんこれは私の想像逞しい推論に過ぎず、J.F.ケネディや弟のロバート・ケネディの暗殺事件の背景を暴こうとした、小説や映画に毒された浅はかな考えかもしれない。もしそうだとしたら死亡された観衆の方は全く浮かばれない。
私の推論が誤っており、荒唐無稽なものだとしたら、真摯に謝らなければならない。ただ少なくとも言いたいことは、このような千載一遇のチャンスを利用して、大統領選挙キャンペーンを有利に運ぼうとするトランプ陣営やマスメディアの動向には、大いに気をつけなければならないということだ。
いにしへより、政治は時として熱狂を伴った。しかし熱狂を主役にしてはいけない。多くの犠牲を払って獲得した貴重な教訓だからだ。