戦後世界の外交で特筆すべきヘンリー・キッシンジャー氏が、去る11月30日に100歳の長寿を全うした。ドイツ系ユダヤ人としてドイツに生まれたが、ナチスの弾圧を逃れてアメリカに移住。ハーバード大学を優秀な成績で卒業後、大学で教鞭をとっていたところ、時のニクソン大統領から請われて大統領補佐官に抜擢され、国務長官にまで登り詰めた人だ。
彼の功績で印象に残っているのは、やはり1978年の電撃的な中国訪問と国交正常化であり、翌年のニクソン訪中につなげたことだ。事実上同盟国の日本にすら事前通告がなく、「忍者外交」と称されたが、実は周到な準備をしていたことが、のちに明らかになった。
ここでもベトナム側との隠密な接触により、泥沼化していたベトナム戦争を、1973年のパリ和平会談で終結させ、米軍撤退を完了したことも印象深い。アメリカ国内では必ずしも高い評価ではなかったようだが、この功績によりノーベル平和賞を受賞した。
キッシンジャー氏の外交手腕については、目を見張るものが様々あったが、私が考えるところ2つの大きな要素があったようだ。一つは国際政治の全体像を捉え、自分の理想を前面に押し出す能力の高さで、当時の多くのジャーナリストからは「ビッグ・ワード」と呼ばれていた。もう一つは緻密で周到な準備や根回しを行う点である。しかもそれを非公開、隠密で行うことから、「忍者外交」の異名を与えられていた。
この二つの要素は相反する性質のものである。なかなか一人の人間でこなせる技ではないので、まるで国務長官がふたり存在していたかのようだった。大統領と国務長官の仕事を、一人でやりこなしたと称しても不思議ではなかった。現に当時のメディアでは、大統領を凌ぐ補佐官、国務長官とも言われていた。
歴史にもしもはないが、もし今、彼がアメリカの国務長官だったら、ウクライナ侵攻やパレスチナ紛争に対して、どのような解決策を見出し、どのような行動をしたか、やはり見てみたいと思う。あれだけの能力を持った外交官が、この厳しい安全保障の時代に現れないものかと、心から望まないではいられない。