1923年、大正12年9月1日の正午少し前、南関東全域をマグニチュード7クラスの大地震が襲った。故渡辺美智雄大蔵大臣も、私の父も生まれ間もない時だった。あれからちょうど100年目となる。
震災の犠牲者は10万5千人を超えたが、その大半は火災に巻き込まれた焼死だったという。墨田区本所の被服廠跡の空き地では、避難民が持ち込んだ大量の家財道具に引火、高熱の旋風が発生し、犠牲者が数多く出てしまった。もう少し防災の知識があればと悔やまれてならない。
震災の混乱の中で、朝鮮人があちこちで虐殺される事件が発生したことはよく知られている。彼らが火をつけまくったとか、井戸に毒を投げ込んだというような噂が飛び交い、新聞報道もそれに追随した。多くの市民がそれを信用して暴行に及んだらしい。犠牲者の数は明確でないが、数百人とも数千人とも言われている。
これは混乱した中で、正しい情報が与えられなかったことによる惨事である。非常時における正確な情報発信の重要性を、再認識しなければならない。
また震災後の混乱に乗じて、陸軍憲兵・甘粕大尉によるアナキスト大杉栄らのリンチ殺人も秘密裏に行われていた。混乱に乗じて様々な出来事が起こるのは世の常とも言われるが、こういう時だからこそ法と秩序を厳格に働かせなければならない、現在に通じる教訓である。
今後30年以内に震度7クラスの首都直下型地震の発生する確率は、実に70%と予測されている。確実に大地震が来るという前提に立って、我々は科学的知見に立った避難誘導、正確な情報の迅速な発信、法と秩序の厳格な運用のためのあらゆる準備を怠ってはならない。