はじめのマイオピニオン - my opinion -
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再び近くて近い国に

 日本のお隣の国韓国とは過去10年近くにわたり、歴史認識問題、取り分け従軍慰安婦や徴用工など、戦後処理に関わる問題で拗れてしまった。共に民主党だった文在寅(ムン・ジェイン)前大統領は在任中、これらの問題を積極的に取り上げて、日本側に強く当たるケースが続いていたことも、その一因である。しかし昨年の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の誕生とともに、両国関係は急速に改善に向かった。

 日韓両国の交流の歴史はまさに「(禍福は)糾える縄の如し」と表現しても大袈裟ではあるまい。歴史を遡れば、倭国が百済と組んで新羅と戦った白村江の戦い。豊臣秀吉の朝鮮出兵。近代では長く続いた日韓併合。日本の敗戦による引き揚げ、そして朝鮮戦争。戦後処理を目指した日韓基本条約の批准へと続く。特に基本条約では日本からの賠償金支払いと、韓国側の請求権放棄がセットで組み込まれた。余談だが1965年に日韓基本条約を批准する際の衆議院議長は、祖父の船田中だった。

 しかし韓国側では従軍慰安婦問題をはじめとして反日感情が高まり、両国間の喉に突き刺さるトゲとなってしまった。経済的な行き詰まりもそれに拍車をかけたようである。村山総理談話や河野官房長官談話を発出することにより、日本側としても関係改善を図ったが、地理的には近いけれども、精神的には遠い国、即ち「近くて遠い国」と表現されるようになった。

 一方韓国はその後、「漢江の奇跡」と称される経済発展を遂げるようになり、政治情勢もいわゆる「3人の金」(金大中、金泳三、金鍾泌)の存在で安定するようになった。韓国側の対応にもゆとりが感じられるようになった。2000年代には「冬のソナタ」など、いわゆる「韓流ドラマ」が日本でも一大ブームを起こして、国民的にも精神的な近さを実感できるようになった。「近くて近い国」と表現しても良い時代が到来した。

 ところが2010年代になると、決着済みと思われた徴用工問題について、韓国大法廷が個人の請求権は放棄されていないため、日本企業に損害賠償を求めるという判決を下した。その直後から日韓関係はまたもや暗礁に乗り上げ、貿易のホワイト国からの格下げや戦力物資の輸出審査強化、日韓間の安保情報の相互交換(GSOMIA)の破棄など、すきま風が吹き渡る事態を迎えた。当時の文在寅大統領が後ろで糸を引いていたことは、想像に難くない。

 再び「近くて近い国」になったのは、やはり親日的な尹錫悦大統領が誕生したためである。大統領の交代によってこれだけ雰囲気が変わるというのも、少し怖いことではある。本来は大統領交代に左右されない、重層的な、強靭かつ柔軟な日韓関係を追求しなければならないはずだ。未来志向の両国関係、決して後戻りしない両国関係を求めなければならない。

[ 2023.05.15 ]