去る3月7日10時37分に打ち上げられた国産H3ロケットは、1段目のメインエンジンも無事に役目を果たし、2月27日に点火しなかったブースターロケットも無事に点火したにも関わらず、2段目ロケットに点火せず、このままではミッションが果たせないばかりか、落下地点に被害が及ぶ危険性があったため、地上から破壊命令が送られた。
H3ロケットは前型機のH2Aロケットよりも重いものを衛星軌道に乗せる能力を持つ一方、コストを100億円から半分の50億円程度に抑えることを目指して、約2000億円という巨費を投入して開発された。年毎に過激になるロケット市場において、切り札になることを目指したが、メインエンジンの燃焼実験の際の異常振動などで、当初計画より3年ほど遅れてしまった。今回の失敗により、さらに遅れることを懸念している。
実はH2Aロケットの導入の時もいくつかのトラブルに見舞われたが、その後改良を重ね、47回の打ち上げで46回の成功をおさめ、成功率は何と97.8%を記録した。H3はそれを原型としながら、コストダウンのためにシステムを簡略化したり、部品を削減したりしたため、少し無理をしたのではないかと言われる。しかし現代の日本の最先端技術を結集すれば、この困難を克服できるものと信じていたが、残念ながら期待は裏切られた。
失敗の原因はこれからの調査に委ねられるが、年単位の時間がかかるとも言われている。国際宇宙ステーション(ISS)への物資運搬が滞るほか、今後打ち上げるべき衛星が待機させられ、NASAが主導するアルテミス計画への日本の参画にも影響を与えかねない。早急な原因究明と改良が求められる。
打ち上げ失敗の前後を通じて、JAXAをはじめ関係者の態度に、私は少し違和感を感じている。JAXAの理事長やプロジェクト・マネジャーは失敗後の記者会見に臨んで、一通り遺憾の意を表明したが、どこか人ごとのように思えてならなかった。大きな組織なので仕方ないのかも知れないが、もっと当事者意識を持って反省の意をしっかり表さなければならなかったのではないか。
過去の日本における国家的ミッション、例えば1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博など、組織の力も大きかったが、個人個人の働きと責任感はとても大きなものがあったように記憶している。最近顕著になりつつある日本の国際的な地位の低下の原因の一つも、この辺りにあるのかも知れない。残念ながらH3の失敗は日本の昨今の没落を象徴するように思えてならないが、一方成功に向けての必死の努力が、日本再生の原動力となることを心から祈っている。