はじめのマイオピニオン - my opinion -
船田はじめが毎週月曜日に提言するメールマガジン。購読ご希望の方は下記フォームからお願いします。
お名前
メールアドレス
    配信停止申込
荒井退造という人

 7月22日に封切られた邦画に『島守の塔』という作品がある。沖縄復帰50周年を記念した作品でもある。主人公は二人、終戦前の沖縄県知事だった島田叡と警察部長(現在の県警本部長)だった荒井退造である。島田知事は兵庫県出身の元内務官僚、荒井警察部長は栃木県宇都宮市清原出身の警察官僚である。荒井は旧制宇都宮中学校(現宇都宮高校)卒で、私の大先輩でもある。

 昭和19年頃戦況が厳しくなり、沖縄赴任を嫌がる官僚が多くなっていた。沖縄出向の役人も何かと理由をつけて、現地から離れていった。ところがこの二人は、沖縄にしっかり根を下ろし、近づく戦乱に県民が巻き込まれないようにと、積極的に県外に疎開させるべく協力し合ったという。

 彼らが疎開させた県民は20万人に上るという。もし彼らの努力がなければ、沖縄の地上戦の犠牲はさらに大きくなっていたかもしれない。一方この二人は地上戦の混乱に巻き込まれ、行方不明になった。戦後沖縄の人々は、彼らの功績を讃え、摩文仁の丘の近くの小高い森に二人の慰霊碑を建立した。沖縄の高校野球新人大会の優勝校には島田叡杯が、準優勝校には荒井退造杯が贈られることを見ても、沖縄の人々は今もこの二人を尊敬しているのだ。

 ところが荒井の出身地である栃木や宇都宮では、荒井の功績はほとんど知られていなかった。20年ほど前に郷土史家の塚田保美氏がそれを発掘し、宇都宮高校同窓会報に寄稿した。それに感動した当時の斉藤宏夫校長が中心になって、顕彰運動を展開した。それが今回の映画製作に繋がっている。

 太平洋戦争における唯一の地上戦、最も壮絶な地上戦が行われた沖縄の悲惨な歴史の中で、我が身も顧みず人道支援をした島田叡と荒井退造の存在は、今でも燦然と輝いている。

[ 2022.07.25 ]