昔から「政治は一寸先は闇」とよく言われてきたが、9月3日はまさにその通りの展開になった。菅総理は17日から始まる自民党総裁選に、「当然出馬する」と直前まで述べていた。しかし一方で、総裁選を自分に有利に進めるため、模索した衆議院解散は予想以上の反発に遭い、二階幹事長をはじめとする党役員人事の入れ替えも理解が得られず、八方塞がりになっていたことも事実。「コロナ対策に専念するため」という断念理由で、ようやく拳の下ろし場所が見つけられたのではないか。
思えば、昨年の安倍総理の突然の辞任によって急遽担ぎ出された菅氏は、「宰相」としての準備もほとんどなくバトンタッチされた。長く官房長官を務めたとは言え、総理と官房長官では責任の重さや注目度は全く違っていた。しかしわずか1年の在任にもかかわらず、携帯電話料金の引き下げ、デジタル庁の発足、2050年カーボンニュートラルの宣言など、着実な仕事をやってきた。そのことは率直に評価して良いと思う。
しかし緊急事態宣言を度重ねて発令しても、なかなか新型コロナの感染者数が収束せず、ワクチン接種についても接種数のアップに力が入り過ぎて、職場接種の予定が大幅に遅れてしまった。感染力が強いデルタ株の蔓延は誤算だった。誰がやっても難しいミッションだが、それだけに宰相としての発信力、国民に対する説得力、国民との共感や一体感が求められたが、菅総理にはそれだけの力量が、残念ながら備わってなかった。官僚の作文を読むだけでは国民の心は動かないものだ。
総裁選挙は9月17日告示、29日投開票となるが、菅総理の退陣でくびきが取れたため、多くの候補者が出る傾向にある。過去の総裁選は派閥の合従連衡、数合わせに終始したが、コロナ禍で逆風の時期でもあり、同じことが繰り返されるものなら、国民の心は自民党から完全に離れる。候補者には堂々たる政策論争を展開してもらいたい。各派閥も所属議員を締め付けるのではなく、今後の日本のためには誰が相応しいのかを見極め、議員の自主性を尊重すべきである。
新総裁が選ばれた暁には、首班指名のための臨時国会が招集されるが、その場でも新総理は野党からの質問にしっかりと答え、その上で国民の審判を受けなければならない。衆議院議員の任期は10月21日に満了となるが、総選挙はそれを多少超えても国会論戦は丁寧に行うべきである。それが自民党の信頼回復の唯一の方法である。