米軍の撤退によりアフガニスタンのほぼ全土がイスラム武装集団タリバンにより制圧された。8月末までの米軍の撤退で、ある程度予想していたものの、予想を遥かに超えた支配地域の急激な拡大により、首都カブールは混乱状態に陥った。脱出を試みる市民が空港に殺到し、犠牲者も出てしまった。EUのNATO軍や米軍のために働いていた現地スタッフに、タリバンから危害が加えられることを恐れ、各国が軍用機やチャーター機を投入し、国外避難を手助けしている。
日本大使館員は英国の軍用機に乗せてもらい、トルコのイスタンブールに仮事務所を開設して、業務を継続している。邦人や共にいる現地スタッフを保護救出するため、一時は自衛隊機派遣を検討したものの、国内手続きに時間がかかるため、より現実的な「関係国への依頼」に留めた。日本大使館に勤務したり協力した現地スタッフの安全も確保しなければならない。日本政府の危機管理のあり方をあらためて問わなければならない。
アフガニスタン国内外では、タリバンが支配していた20年前に逆戻りすることを非常に恐れている。かつてタリバンはイスラム教の厳しい戒律を、住民生活のあらゆる分野に強いた。女性は全身にブルカをまとい、職業にもつけないようにした。子供たちの教育が疎かにされた。偶像信仰を極端に嫌い、世界遺産のバーミアン巨大石仏を爆破したことは記憶に残る。
この20年を振り返ると、イスラム武装組織タリバンはアルカイダやISと繋がっており、テロ組織の温床になっていた。アメリカ同時多発テロの首謀者オサマ・ビンラディンを匿っていたことから、アメリカはテロ撲滅の大義のためにアフガニスタンに派兵して、穏健な政府を支えてきた。民生が改善した時期もあったが、政府に対する国民の信頼は高まらず、アメリカ世論の派兵に対する反対論もあり、遂にトランプ政権の末期に撤退の判断に至った。メディアではベトナム戦争以来の屈辱、アメリカの蹉跌(さてつ)とも表現されている。
カブールを掌握した直後のタリバン・スポークスマンの会見では、「イスラム教の教えの範囲内で現実的な対応をする」と、やや柔軟な姿勢も垣間見えたが、果たしてどこまで実行されるのか、今後の成り行きを注意深く監視しなければならない。G7のオンライン会議で示されたように新政府の承認は難しいが、しかし対話のチャンネルは開けておき、交渉のテーブルに付けさせておくことが大切だ。またかつて砂漠に緑を取り戻そうと灌漑工事を施した故中村哲医師などの影響で、アフガニスタンには日本を尊敬する国民も多いと聞く。日本独自の新たな貢献策も検討しなければならない。
今回のアフガニスタンの事態は、世界の安全保障環境にも影を落としかねない。アメリカ軍が撤退した事実により、将来の台湾海峡有事の際や日本国内の米軍基地有事において、アメリカが期待されている役割を果たさないのではないかとの疑念が生まれたこと。共産圏の瓦解から始まった民主主義の復権に黄色信号が灯ってしまったのではないかという国際世論の変化が懸念される。
数年前、私たち作新学院では、アフガニスタンの子どもたちにランドセルを送るキャンパーに協力し、350個余りを送った。現地の子どもたちが出来るだけ多く学校に通ってほしいとの願いも込めた。このランドセルが無駄にならないよう、国際社会がしっかりタリバンを監視しなければならない。