はじめのマイオピニオン - my opinion -
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いよいよ東京オリンピック始まる

 開催すべきか否か、賛否両論のある中で一年遅れの東京オリンピックがいよいよ始まった。今回のオリンピックは当初から困難を伴ったものだった。エンブレムの盗作問題に始まり、新国立競技場の設計やり直し、開会式演出スタッフの相次ぐスキャンダル、そしてなによりもコロナ禍での開催、緊急事態宣言下でのスタートになってしまった。

 オリンピックの開催に際して、JOCや政府は感染防止の様々な工夫や手立てを講じてきた。内外の選手たちに出来るだけワクチンを接種してもらうこと、水際対策の徹底やプレーブックに基づく行動制限、「バブル」と呼ばれる方式で選手と一般人との接触を排除するなどである。ほぼ無観客での開催もその一つだ。しかし実際には海外からの選手や関係者の中から、陽性者が数十人確認された。バブルが破れないこと、そしてバブル内で感染が拡大しないこと、とにかく無事にオリンピックが終わって欲しいと、ただただ祈る気持ちである。

 そうした中で出場選手たちが平静な気持ちを維持して、何とか本来の実力を最大限発揮してもらいたい。出場選手一人ひとりに語り尽くせない物語があるのだから。手前味噌だが作新学院卒業のアスリートもオリンピックで4人、パラリンピックで2人が、出番を待っている。

 水泳の萩野公介選手は膝の怪我で手術した後長いスランプに陥り、ようやく快復して3度目の出場権を手にした。飛び込みの榎本遼香選手は中等部の時最愛のコーチを病で失い、肺を患ったこともある。車椅子バスケットの高松義伸選手は、高校時代骨肉腫で片脚を失い、車椅子テニスの大谷桃子選手は、薬の副作用で脚が不自由になった。しかしその後もスポーツを諦めなかった。彼らにはどのような結果になっても、私は心からの拍手を送りたい。

 1964年10月10日、かつての東京オリンピックの開会式では、満場の観客の歓声の中で、古関裕而作曲のファンファーレ、そしてオリンピックマーチが高らかに流れた。小学校5年生の私にもその感動と高揚感は忘れようがない。今回はコロナのために、このような高揚感は少ないかもしれないが、例え無観客であってもアスリートたちは高揚感を味わってもらえたのだろう。

 どうかこの2週間、そしてパラリンピックの2週間、スムーズで安全な競技運営をしてもらいたい。そしてオリパラのせいで感染者が拡大したと決してならないように、最新の注意と最大の努力をお願いしたい。

[ 2021.07.26 ]