今年2020年、令和2年はコロナに始まりコロナに終わった感がある。56年ぶりに期待されていた東京オリンピック・パラリンピックも延期となり、様々な大会やイベントも軒並み中止の憂き目を見た。オリンピック出場を目指して厳しい練習に耐えてきた教え子たちや、青春の集大成とも言える全国大会がなくなって、呆然としている高校3年生たちに、かける言葉も見つからなかった。
この春には緊急事態宣言が出て緊張感が走ったが、一山越えて安心感が広まり、また感染拡大が顕著になってしまった。感染拡大防止というブレーキと、経済再生というアクセルを交互に踏みながら、バランスを取っていく政府の対応には、極めて難しいものがある。しかし第三波が厳しくなってからの対応は、明らかにアクセルに力を入れすぎていた。我々はもう一度箍を引き締めて、ワクチン摂取が本格的になるまで、感染拡大を必死に抑えなければならない。
新型コロナウイルス感染症は、何気ない「日常」の大切さやありがたさを我々に教えてくれた。一方、我々の生活の様々な分野で、デジタル化が遅れていることも教えられた。テレワークや遠隔診療、オンライン授業などを否応なく経験させられたが、様々な制度的制約があることも分かった。マイナンバーの普及が国民の20%そこそこでは、行政手続きのオンライン化は望むべくもない。政府は来年に向けてデジタル庁を設置して集中的に取り組む姿勢だが、一方でデジタルデバイド対策によって取り残される人をなくすことや、オンラインショッピングで発生する消費者トラブルを防ぐ目配せも大切になる。
また今年も熊本で水害が発生したが、昨年は台風19号などによる東日本の水害、一昨年は西日本の水害など、毎年の如く各地で大規模な災害が発生している。明らかに地球温暖化の影響が出ており、日本はもとより世界が「パリ協定」を守らなければ、大変な事態になる。菅総理の2050年カーボンニュートラル宣言は、その意味でタイミングか良かったが、再生可能エネルギーの比率を格段に上げるなど、実行には困難が伴う。防災インフラの強化など「国土強靱化」とも合わせて実行していく必要がある。
今年はアメリカ大統領選挙に振り回された年でもあった。民主党のバイデン候補の優勢が揺るぎないものと信じていたが、現職のトランプ大統領の巻き返しも相当強く、またお得意のフェイクニュースや強烈なツイートにより、選挙戦を撹乱してきた。バイデン氏が勝ったもののその差は僅かであり、あらためてアメリカ社会の分断の危機を浮き彫りにした。民主主義の先輩と思ってアメリカを見ていた我々にとっては、かなり大きなショックを受けることとなった。
実はわが国でも民主主義は危機に直面している。かつての政治改革や度重なる公選法、政治資金規正法の改正強化により、政治とカネの問題はかなり解決していたと思っていたが、ここにきて元閣僚らの金銭疑惑や安倍前総理の桜を見る会前夜祭の経理処理の杜撰さ、広島での大規模な選挙違反疑惑など、20年も30年も前にタイムスリップした感がある。底知れぬ憤りと虚しさを覚える。あらためて政治に携わるものは襟を正さなければならない。
また安倍長期政権は官邸主導を目指してきた。このこと自体は政治決断のスピード化やリーダーシップの発揮に大いに貢献したところだが、一方で与党側との擦り合わせやコンセンサスの醸成を蔑ろにすることも多く、弊害が生じている。さらに官邸が行きすぎたことをやっても、間違った方向に向かっても、かつてのように意を唱える自民党議員が極めて少なくなってしまった。いわゆる党内民主主義の危機である。私はこの危機を正すつもりでものを言ってきたが、賛同者が少ないことに心が折れることしばしばだった。
戦後最悪とも言われる2020年だが、今年経験したことを糧として、少しでも良い社会を作るために、心して新年を迎えたい。皆様どうぞ良いお年を。