終戦記念日の夜、NHKで『太陽の子』というドラマを観た。戦前から戦中にかけての日本の原子物理学、原子爆弾研究の実態を描いた作品だった。モデルは故荒勝文策・京都帝大物理学教授と、そこに集う学生や研究者の活動記録である。旧帝国海軍からの依頼を受けて、原子核分裂による強大なエネルギーを、兵器として利用する「F研究」に焦点を当てている。
当時の京大物理学教室には、旧帝国陸軍から同様に、新型爆弾開発を目的とした「二号研究」を委託された仁科芳雄博士や、「中間子理論」で戦後日本初のノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士、同じく「繰り込み理論」でノーベル賞を受賞した朝永振一郎博士など、錚々たる理論物理学者がひしめいていた。
当時の世界はドイツのヒトラー政権が原子爆弾を保有してしまうことを恐れ、アメリカなどが必死になって研究開発を行なっていたが、日本にもその噂が伝えられたため、軍部が慌てて京都帝大の彼らに研究を依頼したものである。荒勝教授は当初、戦争に加担する研究、大量殺戮兵器の開発に躊躇していたが、自らテーマとする核エネルギーの研究環境が整うのであればやむを得ないと、自らを言い聞かせていた。
情報も不足し、実験材料も乏しい中で、ウラン化合物から核分裂を起こしやすいウラン235を取り出すための、遠心分離器の開発を繰り返していたが、なかなか思うような成果が得られなかった。そうこうしているうちに、遂に運命の8月6日そして9日を迎えた。彼らの研究は事実上頓挫し、敗戦を迎えることとなる。
戦後すぐに荒勝研究室を占領軍が査察し、研究資料は持ち去られ、実験装置も破壊された。特に荒勝教授や仁科教授が丹精を込めて開発したサイクロトロン(加速器)装置も破壊され、研究意欲をなくしてしまったことは残念である。しかしここまで日本の原子物理学や原子核爆弾の研究が進んでいたことには、正直驚きを隠せないとともに、純粋な科学研究が紙一重で軍事に利用されたかも知れない歴史に、恐怖感を覚えた。
戦後アメリカではDARPA(国防高等研究計画局)が科学研究と軍事を結びつけ、デュアル・ユース(軍民共用)の潮流を作り上げた。一方日本は、これまで純粋科学を軍事から切り離してきた珍しい国である。しかし最近は、安全保障を確かなものにするためにも、デュアルユースも認めて行くべきとの流れになりつつある。純粋科学と軍事を峻別することは、所詮無理なのかも知れない。
しかし私は、研究成果が結果的に軍事に利用されることはあっても、軍事に貢献し協力する目的で研究開発に投資することには、抑制的であるべきと考える。またこのことは、政策的な次元だけではなく、科学者一人ひとりの倫理観にも訴えかけなければならない問題である。