先日は「経済財政運営と改革の基本方針」いわゆる「骨太の方針」の原案に対する自民党内の議論が盛んに行われた。来年度の予算編成や政策展開の発射台ともいうべき性格を持ち、2001年(平成13年)6月の小泉内閣からスタートした。当初は政策の骨子や大きな方向性が示され、せいぜい30数ページの長さだった。
ところが歳を重ねるごとに、各省庁の要望を背景とした自民党の各部会要望が山のように重なり、とうとう70数ページにもの大部となってしまった。これでは部会要望をホッチキスで留めたに過ぎない。「骨太」でもなんでもなく、各省庁の肉(時には贅肉も)が付き、政府の「からだ」そのものになってしまった感がある。
今回のそれは20年近く前の姿に戻って、35ページに収められることになった。内容的にもコロナウイルス感染症対策、コロナ下での経済活動の引き上げ、そして新たな日常の実現のための諸方策に、思い切って限定されている。もちろん昨年や一昨年の骨太に書かれている項目は、原則生きているとの但し書きはあるが、恐らく気休めだろう。
アンダー・コロナ、ウィズ・コロナ、アフター・コロナにおける我が国のあり方を端的に示そうとしたものであり、本来の姿に戻ったことは評価できる。主要政策の一丁目一番地は、コロナ時代にあっても我が国の経済や生活を動かしていくため、デジタル・トランスフォーメーション(DX)を実現すること、すなわちIT化をあらゆる分野で進めて、我々の生活や行動様式を変化させることである。この分野において我が国は、先進地域に比べて10年も20年も遅れてしまったことに危機感を持ち、IT化を強力に推進しようと訴えている。
しかし何のためにデジタル化を進めるのか、その理念やビジョン、目標がまだ十分には書かれていない。デジタル化はあくまで手段に過ぎない訳で、テレワークによる働き方改革、東京一極集中の是正、多格分散型国家、学びの保証、誰一人取り残さない社会の形成など、短中期的な目標は書かれているが、もう少しメリハリの効いた長期的目標を掲げるべきである。将来我が国が目指すべき国家像や哲学、国民の望ましいライフスタイルや幸福度のアップ、世界をリードする新しい価値観の創造などである。
もう一つ、この骨太方針に欠けているものは、デジタル化だけでは置き換えられないものを大切にすべきことである。学校では苦労してオンライン授業を導入したが、それをやって初めて、リアルの対面授業がいかに素晴らしいかが再認識された。絵画や工芸、音楽などは「アナログ」の極致とも言えるもので、一瞬の音の揺らぎ、色彩の微妙な変化など、デジタル信号化出来ない要素が多々ある。文化・芸術の命はここにあるのであって、DX時代にあっても、DXの波がどんなに押し寄せて来ても、最後まで守り抜くべき分野である。