アメリカとアフガニスタンを実効支配している武装勢力・タリバンとは、水と油の関係にあると思っていたが、先日その指導者同士がホワイトハウスで秘密会談を計画していたことが報道され、しばし耳を疑った。その後発生した首都カブールでのテロで、アメリカ兵1名が犠牲になったことにより、会談は中止となったようだが、もし両者が和解の道を模索するのであれば、長年の内戦に悩まされていたアフガニスタンにとってこれほど素晴らしいことはない。
アフガニスタンの悲劇は1979年に、当時のソ連が侵攻したことに始まる。東西冷戦時代の典型的な事件であり、かつその時代の最後の頃の出来事だ。このために翌年のモスクワ・オリンピックを、西側諸国のほとんどがボイコットした。日本国内でも賛否両論が巻き起こったが、結局は従うこととなった。柔道の山下選手をはじめ、多くの日本人選手が悔しがったことを、今も記憶している。
10年近く侵攻を続けたソ連が撤退した後も、アフガニスタンでは内戦状態が続いていたが、イスラム原理主義を標榜する武装勢力・タリバンが、隣国パキスタンの支援を受けて実効支配するようになった。当初アメリカは、彼らを中央アジアの安定勢力になりうると考え、CIAを通じて武器を大量に供与した。
ところがタリバンは極端なイスラム化を進めるばかりでなく、オサマ・ビンラディン率いるテロ組織アル・カイーダを匿い、シルクロードのルート上の仏像群バーミアンを爆破するという、過激な行動に傾いて行った。2001年の春の出来事だったが、その半年後の9月11日にはあのNYテロが起こってしまった。
アメリカはタリバンに対して、ビンラディンの引き渡しを要請したが拒否されたため、報復として米軍のアフガン駐留を断行した。アメリカはタリバンの行動を完全に見誤ったばかりか、過去に供与した武器が、結果として自分たちに向けられることになろうとは、思いもよらなかったに違いない。
現在でもアフガン駐留米軍は1万5千名を数えるが、その撤退は遅々として進んでいない。もしタリバンとの直接対話が実現すれば、アメリカの負担は大幅に解消されるはずだ。またタリバンが行なっている極端なイスラム化によって、未だに禁止されている女性の教育や音曲の復活などにつながる可能性がある。今度こそアメリカはタリバンの言動を見誤ることなく、注意深く慎重に交渉に当たらなければなるまい。