来年度政府予算原案が21日の閣議で決定した。一般会計予算は初めて100兆円を超えることとなった。災害の多発に対応した国土強靭化対策、来年10月からの消費税アップに対応する景気対策、幼児教育・高等教育の無償化などが、主な増額の要因である。
必要なところに必要な予算を配分することは大切だが、赤字国債発行を少しでも減らす努力も大切だ。昨今の税収増によって新規発行は減り続けているが、新規発行ゼロすなわちプライマリーバランスを達成する目標時期は、当初の2020年から5年遅れることとなった。
ところで昨今の政府予算編成作業は、以前に比べて大きく変わっている。かつては大蔵省からの予算内示が何段階にもわたって行われ、課長折衝、局長折衝、次官折衝、そして大臣折衝に至るまで、4、5日もかかるのが通例だった。自民党の族議員も贔屓の役所に屯して、大蔵省主計局に夜討ち朝駆けを行なった。
大体政務次官室が根城となり、そこには結構な食材、アルコールも用意された。中にはこれが目当てでいくつかの役所をはしごする不届き者⁈もいたようだ。大臣折衝が終わり大団円を迎えたのちは、打ち上げの美酒が振る舞われた。
ところがその後予算編成のやり方が変わり、シーリングや概算要求制度が出来、大枠予算については大臣間で事前折衝でどんどん決まってしまうようになった。また小選挙区制度が導入されたため、議員は特定分野に精通するばかりでなく、オールマイティを要求される。族議員の存在もかつてよりは軽くなっている。また予算内示の出し方ももともと決まっていて、単にセレモニーに踊らされているだけではないかと気付いてしまったことも大きい。
しかしあの当時、当該予算が何のために必要なのか、なぜそれだけの金額が必要なのか、議員間や役人との間で真剣な議論を闘わせたことは、決して無駄ではなかったし、予算をチェックしていたというメリットもあった。昔の予算編成作業を懐かしがってみても、復活させようと思ってみても、所詮無理なことは承知しているが、国民からいただいた税金をどのように使うのかを、もっと真剣に熱く議論し合うことは、今も大切なことではなかろうか。