今年もまもなく流行語大賞が決まるが、先日はその候補30件が発表された。スポーツ界の不祥事に関連する言葉も選ばれており、やや残念なラインナップではある。その中で「GAFA」という言葉もエントリーされた。Google、Amazon、Facebook、Appleの頭文字を並べたもので、世界の情報を操るビッグ4である。
私もいつの間にかこのビッグ4に支配されてしまっている。Googleで情報を検索し、Amazonでネットショッピングし、Facebookで日々の活動を記録・公開し、そしていまこの原稿をiPhoneのスマホで打ち込んでいる。その便利な道具の恩恵に浸っている日常だが、一方で個人情報の漏洩はないのだろうかとか、この記事が炎上するのではないかなど、不安を感じることもしばしばある。
確かに最近、GAFAに対して社会の目が厳しくなったと感じることが増えた。個人情報の漏洩が、まさに世界規模で数千万人単位で発生したというニュースもあった。情報の意図的な操作によって誤った世論が形成されるというフェイクニュース問題も、米大統領選挙や先日の中間選挙のときだけでなく、日常茶飯事的に発生しているという。GAFAが情報を寡占的に保有している現状と、その重みの認識と責任感を、GAFA自身が十分には感じていないからではないか。
この結果、個人の利益が脅かされるばかりでなく、民主主義の根幹である正しい情報の共有が疎開されれば、世界を悪い方向に向かわせることは明らかであり、彼らの適切な対応が求められている。
最近の報道では、GAFAがそれぞれ情報保護や問題の解決のために人員とコストを割きはじめているため、利益率が下がりつつあるようだ。また彼らが展開する新たなビジネスモデルに、従来の課税方式が対応できておらず、新たな課税方式を模索する動きがある。EUでは個人情報保護の厳格化を求める指令が出ている。
GAFA自身もこれらの動向を消極的に捉えるのではなく、世界の情報を寡占的に所有している重要な社会インフラであることを自覚して、大人の企業として前向きに対応してもらいたい。またユーザーもその便利さに甘んじるだけではなく、厳しい目を持って育てて行くことが求められる。