2年前イギリスのEU離脱を問うた国民投票、トランプが選ばれたアメリカ大統領選挙においては、ポピュリズムの台頭が騒がれた。そしてその何れもで大いに役割を発揮したのは、ネットで拡がるフェイクニュースだった。
既存のメディアに満足できない、あるいは信用できない人々が、真実に基づかないフェイクニュースに群がり、それを無批判に受け入れ、政治的行動を決定してしまう。客観的事実ではなく感情的訴えが幅を効かせる状況を、イギリスのブリタニカは『ポスト真実の政治』と名付け、警鐘を鳴らしている。
フェイクニュースを流す人々の動機は、まず広告収入が期待出来るという経済的理由、次はそれによって騒ぎを起こそうとする愉快犯、そして特定の政治的意図を持って現状を変えようとする政治介入である。ネットにおける匿名性とアクセスのし易さが、この動機をさらに加熱させている。
民主政治の根幹は客観的事実の幅広い共有と、感情に左右されない冷静な議論と価値判断である。これを根底から覆そうとしているフェイクニュースは、何らかの形で排除するかコントロールする必要があるのではないか。表現の自由、報道の自由は守るべき基本的人権だが、昨今のフェイクニュースの拡がりは、その域を遥かに超えるものとなってはしまいか。
我々もフェイクニュースの魔力から自己防衛する必要がある。どのようなメディアであれ、常に真実かどうか疑うことが肝要だ。またいくつかのメディアを比較して、なぜ考え方や扱い方が違っているのかを精査することも必要だ。新聞の読み方や他のメディアとの接し方を、学校教育の中でもしっかり教えなければならない。その意味でNIE(新聞による教育)の取り組みをもっと前に進めるべきである。