1月11日、「ワン・ワン・ワン」の日にソニーが犬型ロボット「アイボ」の新型を発売した。かつてもソニーはこの分野で一世を風靡したが、この度のアイボは格段に良く出来ているようだ。予約販売で私も挑戦したが、1時間で売り切れてしまい、遂に購入することは出来なかった。当日のイベントがニュースで流れたが、アイボの仕草は実に犬的で愛くるしく、次回の予約販売では再度挑戦しようと心に決めている。
ところがである。所詮ロボットはロボット、本物の犬を真似ることは出来ても、本当の癒しにはならないのではないかという疑念も頭をもたげてしまった。AIが組み込まれ、飼い主の顔を認識し、その表情から飼い主の気持ちを推測し、どう動けば飼い主が喜ぶのか、瞬時に計算する。これを何度も経験してより良い行動を獲得する、すなわち「学習」することによって限りなく本物の犬に近づくかのようだ。
しかし本物の犬は時々機嫌を損ねたり、粗相をしたり、意味なく吠えたりもする。心臓が動き、血が流れ、病気にもなればやがて死んでもしまう。人間の思うままにはならず寿命もあるからこそ、愛らしくもあり癒されもするのだと思う。問題はアイボを本物の犬と勘違いし、犬とはこんなものと認識してしまうことだ。とりわけ子どもたちにはこの勘違いは致命的ではないだろうか。生命のもろさを認識できない人間は、将来がとても恐ろしい。
かつて私はオピニオンにおいて、AIが人間社会を大きく変えてしまう「シンギュラリティ」=技術的特異点の怖さを指摘した。AIが人間の価値感や意思決定を左右することにならぬよう、その浸透に歯止めをかける必要を述べた。同時にアイボなど人間と交わる癒し系ロボットとの付き合いにおいても、本当の生き物と本物そっくりのニセモノとを、きちんと区別しておく必要があることを指摘しておきたい。
とはいうものの、やはりアイボは愛くるしく、手元に置いておきたいとの衝動に駆られてしまう今日この頃である。