クリスマスがもうすぐやって来るが、キリストの生誕を表現したジオラマ「プレゼーピオ」も街中にちらほら見かけるようになった。その地は聖書によれば、イスラエル・エルサレムの南10キロほどの田舎町ベツレヘムであったという。
私も30年以上前に自民党青年局の海外研修で、エルサレムやベツレヘムを訪問したことがある。印象的だったのは東エルサレムの旧市街1キロ四方の中に、イスラム教預言者ムハンマドが昇天したとされる「岩のドーム」、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」、そしてキリストが処刑され十字架を背負って歩き始めた「聖墳墓教会」という3大宗教の重要施設が、ひしめき合っていたということだ。宗教的にも民族的にも、世界で最も複雑で微妙な場所だということが一目で理解できた。
トランプ大統領は選挙中、エルサレムをイスラエルの首都と認め、大使館をテルアビブから移すことを公約としていたが、ここに来てその公約を果たす宣言をしてしまった。1993年当時のクリントン米大統領はイスラエルのラビン首相、パレスチナ暫定政府のアラファト議長を同じテーブルに付け、粘り強い交渉の末「オスロ合意」にたどり着いた。このような先人たちの努力を無にしかねない所作である。
確かにアメリカが仲介する和平交渉が長引いていることは事実だが、少なくともエルサレムを当面首都としないことが大前提だったはずだ。にもかかわらずホワイトハウス内ではクシュナー上級顧問が主導権を握ろうとして、ティラーソン国務長官らとの争いが顕在化し、それが中東情勢のみならず、世界の安全保障秩序を乱しかねないことを、強く懸念する。
ヨーロッパ諸国は同盟国イギリスを含めて、当然反対で歩調を合わせている。中東の反米勢力であるイランなどはもちろん反対だが、親米と言われるサウジアラビアやエジプトも反対を表明した。イスラム過激派ハマスや、せっかく鎮圧しかかったISが息を吹き返すのではないかと、懸念している。
我が国はどうかというと、目の前に北朝鮮問題があるため、ややアメリカに遠慮している節がある。しかしそれとこれは別であって、もう少しはっきりNOと言わなければ駄目なのではないか?国際社会の包囲網を築く時ではないのか?