1969年7月21日(日本時間)、今から48年前、アメリカNASAが打ち上げたアポロ11号が、人類史上初めて月面に宇宙飛行士を送り届けた。高校生として初めて迎えた夏休みの初日、私は人生初めての徹夜をしながら、月面着陸の衛星中継を食い入るように見つめていた。
今から考えると、真空管を多く使った当時のコンピュータを駆使して、よくも月まで人間を送り込んだものだと、感心させられる。アメリカの科学技術力に心酔したのも無理は無い。私も以前から温めていた天文学者への夢や、宇宙開発への関心を高めるのには余りある経験だった。
そのアメリカも実は、宇宙開発で後塵を拝する苦い経験があった。1957年にソビエト連邦のスプートニク1号が、人類史上初めて人工衛星となったことである。先を越されたアメリカは、「スプートニクショック」と称し、その威信にかけて理数科教育に力を注いだ。1960年にフルブライト留学生となった理科教師の私の父は、まさにそのムーブメントの真っ只中に放りこまれた。帰国後の父は資源のない我が国においても、理数教育の重要性を事あるごとに力説していたことを、懐かしく思い出す。
NASAの快挙はまた、アメリカ内外の政治情勢とも密接に関連していた。米ソの核ミサイル配備競争や宇宙開発の熾烈な競争、そして泥沼化していたベトナム戦争から、国民の目をそらせる思惑もあった。にも関わらず、半世紀を経ても世界の人々の感動が呼び戻されるのは、アメリカの底力、科学技術力の高さの賜物である。
一時期アポロによる月面着陸は、実は捏造であったという噂が絶えなかった。もしそれが真実であれば、私のあの感動は何だったのだろうかと、憤りを禁じ得ないだろう。しかし最近、月面着陸は科学的に証明されたと聞き、安堵している。
21世紀の今日、アポロの快挙に匹敵するような、ワクワクするような科学イベントは、未だ経験していない。科学技術の進展は、あるいは地道な改良の積み重ねが本来なのかもしれない。しかしやはり衆目を集めるためには、エポックメーキングな出来事が必要ではないか。今度は日本がそのワクワクを作り出せるように、科学技術イノベーションを大いに後押ししなければならない。