我が国の戦後の南極観測が、今年1月末で丸60年を迎えた。人間で言えば還暦である。戦前は軍人で探検家の白瀬矗が、この分野で大きな成果を上げてきたので、研究者たちは戦後直ぐにも行きたかったようだ。しかし戦勝国がなかなか許してくれなかったと聞く。
昭和32年にようやく派遣され、昭和基地を中心に活動を開始した。越冬隊も組織されたが、海氷が厚い時は砕氷船・宗谷が立ち往生し、ソ連の船に助けられたというエピソードもある。また第一次隊が同道した樺太犬が、ヘリコプターの重量制限で連れ帰れず、生存が絶望視されていた。ところが奇跡的にタロ、ジロの2頭が一年を酷寒の中で生き延び、のちに『南極物語』としてヒットしたことも有名である。
残念ながら私は南極に行ったことがないが、高校の同級生・緑川貴君が気象庁気象研究所の元研究部長として、何回か彼の地に行っており、先日南極の話を聞く機会に恵まれた。彼は大気の組成や変化を研究してきたが、それには南極のデータが欠かせないという。
南極大陸は実に日本の30倍もある大きな大陸であり、永年積み重ねられた氷の層が、厚いところで3千メートルもある。陸地面は海水面下にあるが、分厚い氷を取り去ると次第に隆起して、陸地が海面上に現れるという。南極の氷の量は地球上の淡水の8割を占め、全て溶けると地球全体の海水面は60m上がると言われる。
なぜこのような過酷な南極で観測を続けているのかというと、人間活動の極端に少ない純粋な環境にあること、地球全体の変化に極めて敏感に反応することが主な理由のようだ。フロンガスの空気中への拡散により、オゾンホールが南極上空に出現したことをいち早く発見したのは、日本の観測隊である。また地球の温暖化が南極の気温にも色濃く反映されているという。まさに南極は地球の病のバロメータとでも言うべきか。
南極観測や越冬隊の派遣には膨大な資金が必要である。これまでに財政難にかこつけて中止の危機にさらされて来たが、何とか60年持ちこたえた。我が国の気象研究だけでなく、世界各国の研究にも多いに役立つこの事業を、我々は今後も継続していかなければならない。