はじめのマイオピニオン - my opinion -
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あの大震災から5年

 2011年3月11日のあの忌まわしい東日本大震災から、ちょうど丸5年を迎えた。5年という節目に、震災の記憶という心の重みを忘れようとしている被災者、しかしながら忘れられない被災者が多く存在することを、我々は知っておかなければならない。

 

 また被災者がその記憶を忘れようとしていることと、我々が震災を忘れるということは、全く意味が違う。我々が忘れるということは、震災を風化させることにつながる。我々は決して忘れてはならない。このような思いで、昨日は静かに祈らせていただいた。

 

 あの日、私は学校の仕事を終え、東京の仕事をするために、新幹線宇都宮駅で列車に乗り込んだ。その途端、震度6強の揺れに襲われた。車両のサスペンションのお陰で少し揺れが吸収されたようだが、それでも立っていられないほどの、初めて経験する激しい揺れだった。

 

 不幸中の幸いというか、発車間際だったので、車両に閉じ込められることはなかった。すぐに学校にとって返したところ、生徒たちが校庭に避難して、寒さと恐怖に震えていた。すぐにスピーカーから落ち着くように諭し、余震の心配もあるので、1クラスづつ教室に入れ、荷物を取って下校させるよう指示した。

 

 徒歩、自転車、バス通学の生徒たちは何とかなったものの、問題は列車通学の生徒たちである。駅に辿り着いたとしても、列車が動いてないのではどうしようもない。約300名の生徒をどうするか、急ぎ検討した結果、時間がかかっても、バスでそれぞれ自宅近くまで送り届けようとなった。

 

 幸い学校所有の大型バスが2台、外部委託しているスクールバスが2台使えるようになったので、これで県北部と県南部に分けて送り届けることとなった。優秀なスタッフに助けられて、瞬く間にバスの行き方と生徒の分乗リストが出来上がり、夜7時半には学校をスタートした。

 

 道中は大変な交通渋滞だったが、夜中の12時には全ての生徒を降ろし終えて、午前2時にはバスが帰校出来た。ぶっつけ本番でここまでやれたのは幸運としか言いようがないが、日頃のシミュレーションと訓練が如何に大事なことか思い知らされた。

 

 その後子供たちには、人々の絆の大切さを実体験してもらおうと、被災地支援ボランティア活動への参加や、中等部の宿泊体験学習のほとんどを、被災地交流にあてさせている。経験した子供たちの目が、以前とは確実に変わっていることに気付かされる。

 

 3月11日の政府式典では、天皇陛下のお言葉を頂戴したが、次のお言葉が胸に刻まれた。すなわち「私どもの関心の届かないところで、いまだ人知れず苦しんでいる人が多くいることが心に掛かります。」である。我々もそのお気持ちを共有しなければならない。

 

 我々は、いまだ東北の復興が緒に付いたばかりであることを自覚し、被災者のために何が出来るかを、周りの大人たちと、そして子供たちとしっかり考え、行動して行きたいと思う。

[ 2016.03.14 ]