第三部 外交を変える 第十章 民主・人権・市場の原則を貫け 一国平和主義から責任ある国へ 安全保障についても、もっと広い視点から見直す必要がある。 戦後の日本は、平和憲法のもとで、日米安保条約に守られて一国平和主義・経済至上主義で走り続けてきた。 その日本が、はじめて国際社会で国力に見合った応分の負担を求められたのが九一年一月の湾岸戦争である。私は当時、自民党外交部会長の立場にあり、あの戦争への対応については最初から最後まで関わった。その経験から言わせてもらえば、あの事件は、冷戦後の日本の安全保障政策を大いに考えさせたといえる。 当時、国際情勢が緊迫している中で、日本国内における安全保障に関する論議は、ほとんど神学論争に近いものだった。それもこれも、戦争を情緒的に嫌うだけで、四十年以上もの間、安保問題を正面から受けとめてこなかったからだ。知的怠慢のツケがまわってきたといってよい。 そのために生まれたのが、先述の自民党「国際社会における日本の役割に関する特別調査会」である。小沢一郎氏が会長をつとめたため、通称「小沢調査会」と呼ばれるようになった。私も事務局長を仰せつかり、論議のたたき台から最終答申までつきあった。 そこでの結論は、@国際的安全保障(集団安全保障)の考え方のもとで武力行使を含めた国連軍への参加は現行憲法の枠内でも可能、A国連憲章に基づく正規の国連軍編成の可能性は、現在も近い将来も低いから、われわれとしては国連平和維持活動(PKO)への参加を確実に行い、国際的な責務として遂行する−の二点である。 こうした提言は今でも正しいと思うし、ここしばらくは、同じ路線が踏襲できるだろう。 つまり、日本は好むと好まざるとにかかわらず、一国平和主義ではいられない。PKOへの応分の負担、努力がまだまだ足りない。 とくに国連平和維持軍(PKF)については、日本は武器を使う使わないで区別しているが、世界的にはPKFはPKOに含まれるのが常識である。日本も早くフルエントリーすべきである。 社会党は、日本のPKOはアジアだけでよい、あんなに遠くまで行くことはないと主張しているが、むしろ、国連の枠内であれば他国より積極的であっても構わないのではないだろうか。 加えて、実働部隊である自衛隊に対する長期的な支援体制をもっと真剣に考えるべきだ。現在は祖国防衛、災害出動、PKOと三つの役割を与えられているが、それらを並立する主たる任務として明確に位置づけ、ふさわしい法的、予算的な裏付けを行うのが政治の責任である。 もちろん、安全保障に関する論議は、小沢調査会で終わりということではない。戦後、あれほど本格的に政治の場で安保問題が討論されたことは初めてのことだったが、ジャーナリズムに弄ばれ、小沢氏に対するレッテル貼りに利用された感がなきにしもあらずだった。 安保論争は特殊なものでない。国際情勢が刻々と変化する中で、不断から議論を積み重ねておくべきテーマである。 それなのに、日本ではまだ、国連安保理常任理事国入りにさえ抵抗する向きがある。この問題はすでに議論すべき段階ではないのだ。現実問題として、日本が加入しなければ、国連の機能そのものが弱体化する危険がある。 国連が、第二次大戦前の国際連盟のようになるのを防ぐためにも、日本とドイツが常任理事国入りしなければならない。 常任理事国になったら軍事的行使をはじめとして各種の義務を負わされると心配する向きがある。国連における各国の役割は、それほど厳密なものではないのだ。その国の自主性に任されている。 したがって、日本は常任理事会の場を利用して、軍縮問題などをどんどん推進すればよい。フランスの核実験問題などは、国会決議をするより常任理事会で取り上げる方がずっと効果的であろう。
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