第三部 外交を変える 第十章 民主・人権・市場の原則を貫け 日米基軸が外交の基本 第二に、アメリカは日本と価値観を共通にしていることである。 すなわち、アメリカは第二次世界大戦後の世界にあって、自由、民主主義、基本的人権という国境を超えた「普遍的価値」を創り出し、国際社会において最も誠実にその浸透をはかってきた。これらの価値は日本にも深く根をおろしている。 これに対してロシアや中国は、同じ国連安保理常任理事国ではあったものの、これらの価値に寄与してきたとは言い難い。 もちろん、これらの価値に関しては、ヨーロッパ先進諸国も共有している。したがって、これらの国々とも協調していくのは言うまでもない。しかしアメリカは、ヨーロッパ先進国と比べて、二つの点で利点がある。 一つは、アメリカには国際的な課題設定能力があることだ。 前にも触れたように、これからの国際社会では、誰が国際的な課題を決めるか、土俵づくりは誰がやるかによって、各国にとって有利、不利がかなり変わってくる。したがって、課題設定にどのように関わるかは、国益にとって重要な問題となる。 その点、アメリカは課題設定能力を有しているばかりか、他を圧倒するほどの力がある。戦後の五十年間、世界の指導者的な立場にいたアメリカは、圧倒的に優れた情報収集能力、分析能力、戦略設定能力を蓄積し、現在でもその能力は健在である。 それに対して日本は、残念ながら、このような能力を育んではいない。むしろ、現在がスタートラインとさえ言える状態である。とはいっても、総合的な競争が展開される国際社会では、課題設定が自国とはるかに遠い場でなされることは、圧倒的に不利である。 日本は、自らの能力向上をはかりつつ、アメリカの課題設定能力を活用しなければならない。 もう一つは、アメリカはその国の成り立ちからいっても、国際主義を貫かざるを得ない立場にある。 ここでいう国際主義とは、国内だけでなく世界全体にも関心をもち、自分の価値や国境は維持しながらも、国際協調にもウェイトをおいて必要な国際的役割を果たす、というほどの意味である。冷戦構造の崩壊によって、各国は地域主義、ナショナリズム、民族主義に傾いているが、それだけに国際主義が重要と言える。 その点、アメリカは多民族国家であり、ある種の国際主義であり続けなければ、国内をまとめることは出来ない国である。もちろん、アメリカ国内に孤立主義を指向する動きが根強くある。しかし、基本的には国際主義を維持するはずであり、世界にとって望ましいことである。とくに日本にとっては、そうでなければ困るのである。 従って、日本の役割も大きい。 なぜなら、最近のアメリカは国連における活動に対して消極的な姿勢が見えるからだ。国防報告書やPKO政策についての大統領決定をみても、アメリカの国連平和維持活動への参加についていろいろ条件をつけている。極端に言えば、後方活動に限定するような姿勢なのである。 ということは、今後のアメリカは世界の安定に必要な国連での活動を拒否することがあり得る、ということを示している。 このようなときに、日本だけが国連平和維持活動本体に参加しないという現在の姿勢を保つことは問題が多いといわざるをえない。日本も積極的に参加するのでアメリカも積極的に活動して欲しい、という姿勢を示すべきだと私は思う。 その点、最近の日米関係は危なっかしい面がある。これは、日米両国に問題があるといってよい。 アメリカの政府高官やロビイストのスケールが小さくなっており、貿易摩擦だけに焦点が当てられがちな両国関係は、勝った負けたと騒ぐ傾向が強く、非常に視野が狭くなった。たとえば、日米自動車協議などは、輸入数量の数値目標設定は民間経済を縛るものであり、政府が約束できる筋合いのものではなかった。それをアメリカ側は強引に要求してきたのである。 その点では、橋本通産大臣のタフ・ネゴシエーターぶりは正しかった。 しかし、日本側に問題がなかったと言えば嘘になる。他のルートがないなかで、決裂も辞さないという対応をするのは得策なのだろうか、という素朴な疑問が湧いてくる。さらに、アメリカ側がフィルムだ、航空だ、携帯電話だなどと個別品目で問題を出してきたとき、どう対応するのだろうか。 私は、細川首相時代につぶしてしまった包括的な協議ルート、日米構造協議(SII)を復活させるべきだと思う。この協議が継続していれば、個々の問題でぶつかっても、関係が重層的になっているので日米関係そのものに破綻をきたすことはないだろう。 私が心配なのは、経済問題がこじれて安全保障にまで悪影響が出ることだ。政治家は国内の点数を上げるために突っ張り、官僚は「防衛は防衛、経済は経済」とタテ割り行政に安住して割り切る傾向があるからだ。 今こそ、全体的な視野に立った日米関係の調整が求められているのに、現実は逆の方向に向かっているのである。これでは、アメリカが国連での役割を積極的に果たすよう働きかけるどころではない。 現在では、むしろ民間人や学者の方がゆったりとしており、国境を超えて緊密な関係を保っていることが多い。政府同士は黒子に徹し、たとえば愛知和男議員らが主催している議員交流や草の根レベルでの民間交流によって、懐の深い日米関係を育てて行くのも一つの方法であろう。
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