第二部 経済・社会を変える 第四章 「国家総動員体制」からの脱却 旧ソ連の計画経済を真似た体制 経済的な規制の現状はどうなっているか。現在の政府による企業にたいするコントロールの仕方は、第二次大戦を遂行するための国家総動員体制から大きく変わっていない、といっても過言ではない。 政府と企業の関係について、問題とされるのは政府規制である。日本では他の工業先進国に比べて、法令化された規制の数が多く、その程度も強い。たとえは、日本では経済規制の対象となっている産業の経済全体に占める比重が四一・八パーセントであるのに対して、アメリカではその半分の約一九パーセントにすぎない。 日本に特徴的なのは、企業活動での利害対立を市場によってではなく、行政によって調整しようとすることにある。しかも、企業間の競争の管理は、誰の目にも明らかな法令化された規制によってだけではなく、業界団体を通した行政指導によって行われている。 アメリカの行政が「原則自由、例外規制」といわれるのに対して、日本の行政は「原則規制、例外自由」といわれるくらいなのである。 また、産業別に所轄官庁が存在し、業界組織と族議員とが一体となって排他的に政策決定を行う「政官業」の癒着が厳然としていた。 政官業の癒着は、法的権限が届かない分野を含めて政府が企業に影響力を行使し、企業間の競争を管理出来ることを示唆している。一例をあげると、長距離電話ではNTTのほかに三社の参入が認められたが、電話料は新規参入企業の育成を名目に依然として郵政省の監督のもとにおかれている。アメリカでは、長距離電話への企業の参入も料金も市場任せなので、長距離料金は一挙に低下した。 また、アメリカでは自由に設置が認められ週七日二十四時間利用可能なキャッシュ・ディスペンサーも、日本では中小金融機関への配慮ということで、利用者のニーズがあるにもかかわらず夜間と休日の稼働が制限されている。 こうした行政による競争の管理と制限は、なぜ行われているのか。私は、これには正当な理由はなく、戦時における国家総動員体制が戦後も残り、日本の社会経済に埋め込まれてきたからであると考えている。 終身雇用の慣行や株主権限の抑制など、日本型経営といわれる側面も、やはり、戦時の国家総動員体制と密接に関係しているのである。 国家総動員体制とはどんなものだったか。 経済の分野でこの体制を確立したのは、旧ソ連のゴスプランを参考にして一九三七年に設立された企画院である。ここが中心となって臨時資金調整法(三九年)や国家総動員法(三八年)が制定され、企業の設備投資や資金調達、輸出入、流通などのすべての活動が行政によって統制されるようになった。 すなわち、ヒト、カネ、モノにおいて国家が企業を統制するようになったのだ。 たとえば、ヒトについては、軍需会社法によって役員人事に政府が介入できるようになり、企業経営は従業員内部からの昇進者にゆだねられた。終身雇用の制度化である。 カネについては、株式配当の制限が行われ、その結果、企業は株式市場からの資金調達が困難になった。そのかわり、日本銀行の斡旋によって銀行融資団が資金供給を行うようになり、政府が企業の資金調達に関して首ねっこを押さえられるようになった。 モノに関しては、産業ごとに産業統制会をつくった。統制会が傘下企業の設備能力や技術力などを正確に把握して政府に報告し、政府はその報告に基づいて全体の物資調達計画をつくり、統制会を通じて各企業の生産活動を統制したのである。 その結果、市場というものがなくなってしまったのはいうまでもない。 このようにして、日本経済の全体が、政府所轄官庁、業界ごとの統制会、個別企業という指揮命令系統で運営されるようになったわけである。また、ナチス・ドイツにならって、日本銀行も、「国家経済総力の適切なる発揮を図るため国家の政策に即して」金融政策を行うよう定められた。
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