第三部 外交を変える 第九章 外交の五五年体制を超えよ 世界の不信を買った国会決議 一九九五年七月、戦後五十年の国会決議が衆議院で成立した。私は、この経緯を目前にしながら、日本という国は国際社会でまともに生きて行けるのだろうかと、真剣に悩んだものである。 まず、決議の形式上の問題として、慣例の満場一致(またはそれに近い多数)どころか、半数近くの議員が欠席した。その結果、賛成者は衆議院議員の半数以下というありさまで、参議院では決議見送りとなってしまった。諸外国に、日本人の多くの人は戦争放棄はしないと考えているかのような印象を与えてしまった。 もっと問題だったのは、その内容である。決議の名称は「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」というものだったが、文章を見ると、その決意が本物かどうかさえ疑わしくなってくる。 問題点を簡単に見てみよう。まず、決議文はこうなっている。 「本院は、戦後五十年にあたり、全世界の戦没者及び戦争等による犠牲者に対し、追悼の誠を捧げる。 また、世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略的行為に思いをいたし、我が国が過去に行ったこうした行為や他国民とくにアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する。 我々は、過去の戦争についての歴史観の相違を超え、歴史の教訓を謙虚に学び、平和な国際社会を築いていかなければならない。 本院は、日本国憲法の掲げる恒久平和の理念の下、世界の国々と手を携えて、人類共生の未来を切り開く決意をここに表明する」 問題は三点あると私は思う。 第一は、「世界の近代史上・・・思いをいたし」という部分は、日本も世界の列強も同じ間違いを犯したという表現で、列強がやったから日本もやったというように日本の責任を分散化している。これは、姑息な手段である。 第二は、「侵略的行為」という表現である。これを英訳すれば、侵略に似ているが侵略ではない行為、という意味になってしまう。これでは、本当に戦争を反省しているのか、という疑問がでてくるだろう。決議は第一義的には国外向けであり、外国人がこれを読むには、英語などに翻訳された文章なのである。 第三は、「過去の戦争についての歴史観の相違を超えて・・・」という部分だ。日本には、第二次大戦はアジア解放のための戦争であったとか、自衛のための戦争であった、という極端な声がある。その存在を、国会という公的な機関が公式に承認したことを意味しないだろうか。 以上の三点は、新進党が指摘した問題点であった。しかし、与党が修正に応じなかっのに加えて、突然の採決にもち込まれたため、新進党は欠席せざるをえなかった。新進党が決議に欠席したことは残念だが、その指摘に対して、はなから門前払いしてしまった連立与党の頑なな姿勢に私は憤りを感じた。なぜ、まっとうな意見に耳を傾けられないのか。辛うじてまとめた連立与党案に少しでも手を加えると、たちまち連立案が瓦解するからだろう。 私は、ここに村山政権の弱さがあり、その弱さが政治を異常に混乱させていると思うのだ。 その根本的な要因は、五五年体制を支えてきた守旧派たちが、最後の砦として第三党の社会党の党首をトップに据え、政権死守のあがきをしているからにほからない。 五五年体制とはどういうものだったか、それが日本の外交にどのような影を落としているか。 自民党の過半数喪失と社会党の惨敗によって、五五年体制は完全に崩壊したと言われている。その意味を、今日の政治課題、つまり、経済大国にふさわしい政治システムという観点からもう一度考え直すことから始めたい。 五五年に自社両党が成立したとき、自民党は憲法改正をその綱領にうたい、社会党は社会主義の実現を目指していた。両党は政権の追求と政策の提示において、ある種の対照をなしていた。 しかし、池田内閣が発足して、所得倍増路線をたどるようになると、様相は一変した。憲法や安保などの政策は前面から姿を消し、経済成長が国民にアピールするようになった。一方の社会党も、経済路線に相乗りして、社会主義の実現より、高度成長の利益を享受する方向に転じた。そして、自ら政権を担い、独自の政策を実現するというのではなく、政治の大筋が自民党によって決定、運営されることを前提にして、これに部分的な抵抗と修正を試みる、というような政党になりさがってしまった。 政権を担うつもりがないので、国の根幹に関わる安全保障や外交に関しては、日米安保破棄、自衛隊反対などという非現実的な主張を声高に叫んでいればよかったのである。
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