第二部 経済・社会を変える 第八章 活力ある社会をつくる 真の弱者救済 規制を緩和して競争を活性化し、個人が自分で自分の人生を選択できるような社会にすると、問題になるのは、そうした競争から落ちこぼれたり、あるいは、最初から競争に参加できないハンディキャップを持つ人はどうなるか、ということである。 優勝劣敗、弱肉強食の社会には、敗者の墓標が立ち並ぶ。これでは、本当に活力ある社会とはいえないだろう。人々が、本気になって競争に参加し、思い切って自分の能力を試すことができるためには、いくつかの条件がある。 一つは、誰でもスタート時点では同じラインに立っていることだ。親の栄光や遺産の大きさによって、最初から越えられない格差をつけられていては、本当の競争にはならない。したがって、機会の平等が不可欠である。 もう一つの条件は、たとえ一回目の競争に負けても、再び挑戦できることだ。人生は七十年とも八十年ともいわれる長寿時代である。この長い人生が一回の競争で決まるのはあまりにもむごい。たとえ一回目の競争に負けても、敗者復活戦に参加して再び能力を試すチャンスが必要だ。 しかし、それでも敗者になる場合がある。あるいは、一回目の挑戦で負けたとき、一定期間は敗者として過ごさなければならない。そういう時期が、もし、路頭に迷わなければならないほど惨めであるとすれば、人々は、思い切った挑戦を諦めて、ほどほどのところで自己満足しようとするだろう。これでは、本人にとっては不満足な人生であり、社会にとっても、せっかくの人材がその能力を開花できないというのは損失である。 したがって、競争に負けた人々に対しては、手厚い援助が必要だ。 ちょうど、サーカスで綱渡りの曲芸師が失敗して転落しても命を救えるよう、下方に網を張るように、敗者のためのセーフティネットを作っておく必要がある。 敗者といえば、本人の責任のように惨めに聞こえるが、本人の努力の限界を越える事柄で、競争から脱落せざるを得ないケースは数多くあるのだ。早い話が、どんなに能力や才能に恵まれ、運に恵まれていても、健康を害すれば競争から脱落せざるを得ない。 そういう意味で、活力ある社会を作るには、競争から脱落した人々や、最初から競争に参加できない身体障害者などいわゆる社会的弱者のために、手厚い福祉が必要なのである。 一口に福祉といっても三つの分野に分かれる。一つは社会福祉と呼ばれる分野である。生活保護や心身障害者のための政策などが含まれる。これはせまい意味での「弱者救済のための政策」といえる。第二は、所得の再配分政策である。結果としての貧富の格差を縮める政策である。これは、累進税制の役割であるが、生活保護や年金制度を通じる再配分もある。第三は、国による保険の供給である。医療保障と年金制度がこれに当たる。 第二と第三については、制度的に改正すべき点もあるだろうが、ここでは議論しない。先に述べた意味での福祉として重要なのは第一の社会福祉である。いわゆる弱者救済としての福祉だ。 現存する具体的な施策は、母子家庭の福祉対策、身体障害者の福祉対策、心身障害者対策、生活保護制度などが該当する。社会保障関係の予算は、ここ数年の厳しい財政事情の中でも、まずまずの伸びとなっている。その中で、生活保護費、保健衛生対策費、失業対策費などは対象者が増加していないことから、あまり増加していない。しかしながら、社会保障関係の予算の中で、「社会福祉費」は相対的に目立った増え方をしてきた。 その意味で、欲をいえばきりがないものの、わが国のセーフティネットは規模としてはかなり完備されているといってよい。しかしながら、運用上の問題もあって、本当に必要な人々に十分な援助が行き届かず、逆に、あまり必要でない人々が余分な援助を受けているといった問題があるようだ。これらの点は、さらにきめ細かく改善すべきだろう。 そして、本当に援助が必要な人々に手厚く十分な援助を与えるべきだ。
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