第二部 経済・社会を変える 第六章 市場原理を第一にする なぜ日本の航空業界は競争力を失ったか 航空業も行政によって厳しく管理され、その結果、国際競争力が著しく低下している。 現在の日本では、どの空港とどの空港の間に、どのような機材で何便飛ばすのか、またその路線の運賃はどうするかなどを、運輸省が厳しく規制している。その結果、大手三社の運賃は全く同じ体系であり、航空会社の採算は、いかに運輸省から乗客の多い路線を割り当ててもらうかにかかっているといっても過言ではない。 一九八○年代前半までは、この路線割当は厳しく行われ、国内線で、日本航空は幹線(札幌−東京−大阪−福岡)に限定されるものの、国際線は、日本のフラッグ・キャリアとして独占的に路線を広げていた。日本航空の国内「幹線」は、便数は限られているものの他の二社の「ローカル線」に比べると、利益率のよい路線であった。 他社が黒字になるような運賃設定をすれば、日本航空の国内路線は、大幅な黒字になるような構造になっていたのである。一方、国際線は、二国間協定によって路線の変更や便数を決定するが、成田空港の供給力の制約(滑走路が一本しかない)などから、東京発着の便数は、需要の増加に比べて増えなかったのである。 それでなくても、規制でぬるま湯的な状況にあるのに、需要が増えて供給が限られる状況は、どうしても緩慢な経営を招く。 社用族相手の、利益率の大きい商売だけをしていると、バブル崩壊の影響を最も深刻に受ける。これは、銀座の高級クラブに似ている。 経営判断の誤りは、給料の高騰だけではない。本社の役員の数を大幅に増やすほか、採算のよくない関連事業に手を出していった。さらに、新鋭航空機を次々に購入する計画を立て、しかもその代金支払いのため、ドルの長期先物予約を一ドル=百八十円前後で行い、今にいたるまで約二千億円以上の評価損を出しているという。このような、緩慢な経営を許したのも、規制に安住した産業ならではのことである。 いかに、国際線で競争力を失っていったかを少し詳しく検討しよう。 一九八○年代を通じて、日本が製造業の生産性の向上とともに世界にビジネスを求めていくと同時に、世界は東京に注目し、金融機関を中心に東京への進出が相次いだ。このような、日本の地位の向上は、日本の航空業にとってはまたとない追い風であったはずだ。 ところが、一九八○年代の後半に、日本の航空会社(一九八○年後半に参入した全日空を含む)の海外路線の大半を占めていた太平洋路線で大きくシェアを減らしているのである。これは、八六年から九一年にかけて、太平洋路線における日本の航空会社の乗客積み取り比率が四十パーセントから三十一パーセントに急落していることの裏返しである。 ところが、驚いたことに、その同じ期間に日本航空は空前の利益額を誇っていた。乗客数は伸びなくても、利益幅の大きな日本人ビジネス客を乗せることで、楽な商売が出来たことを反映している。 日本の航空会社のビジネス席数が多く、日本人をたくさん乗せることで、大きな利益を上げていた。ところが、血のにじむ努力をしなくても稼げた利益は、バブルの崩壊でなくなってしまった。 太平洋路線は、おもに日米の航空会社が競争しているわけだから、日本のシェアの低下は、アメリカのシェアの増加といってよい。航空条約の歴史的経緯から、路線開設や増便の自由を比較的確保しているアメリカの航空会社(旧パンナムの太平洋路線を買収したユナイテッド航空とノースウェスト航空)は、便数を増やしたり、エコノミーの割引運賃を切り下げて、乗客を確保していたのである。 アメリカの航空会社は、七八年の航空自由化のあとのアメリカ国内市場での激烈な競争から学んだ知恵を国際競争でも生かして、シェアをもぎ取っていったといえる。アメリカの航空会社は、アメリカの拠点都市における国際線から国内線への便利な乗り継ぎのため、施設、乗り継ぎ便開設、乗り継ぎ料金などに多くの工夫を凝らしていった。さらに、アメリカ国内線での利用マイル数に応じた顧客優待制度(いわゆるマイレージシステム)によって自国の顧客をしっかりと確保していった。 日本はといえば、国際線は日本航空、国内線は全日空と日本エアシステム(旧、東亜国内航空)というように規制で「棲み分け」をはかったため、そもそも国際線と国内線をいかに乗り継ぎし易いようにしようか、という発想、工夫が出てこないのである。つい最近の関西新国際空港の開港まで、日本において、地方都市から海外へ行こうとすると、時間も労力も大変であった。羽田から成田へ荷物を持っていかなくてはならないし、新たにチェックインも必要だったのだ。 国内線と国際線の連絡の向上は、アメリカでもヨーロッパでも十年以上前から飛躍的な改善を見た。それに対して日本はこのありさまだ。 このような乗客無視の経営は、規制があればこそなのである。 要するに、日本の航空業は、規制によって自らの首を締め、国際競争力を失ってしまったのである。
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