第二部 経済・社会を変える 第六章 市場原理を第一にする バブルと金融空洞化を生んだ行政 私は、この衰退を象徴するのが、銀行業ではバブル、証券業では損失補填であったと考えている。 バブルはなぜ起こったか。 そもそも金融業の中心業務は、預金者に代わって貸出先の企業経営全般についての情報を収集し蓄積し、それをもとにリスクを計算して融資し、貸出金と金利を回収し、預金者に利子と元本を返す、という「審査」にある。 しかし、戦時中は興銀を経由する軍需産業への融資、戦後は日本開発銀行の融資に便乗して融資活動をしてきたため、銀行は大企業に対する審査能力を十分に蓄積してきたとはいえない。さらに、社債市場が規制されてきたので、都市銀行などは大企業への融資をもっぱら行い、中小企業への融資に進出することは少なかった。そして、銀行は倒産しないという神話の下で、シェア拡大つまり預金獲得競争に走り、最近にいたるまで、審査能力の蓄積はどうしても軽視されがちであった。 そして今度は、大企業が自己資金を充実させ、ユーロ市場で社債を発行するようになったので、大企業の銀行への依存が低下した。そこで大手銀行は、これまで経験のない中小企業への貸出を積極化せざるを得なかった。そこへ、八○年代半ばから低金利政策が長期にわたって採用され、その中で銀行は横並び的に融資拡大に走った。 審査能力が十分に蓄積されていないので、審査するかわりに不動産を担保に融資を行った。情報蓄積のない企業や個人への融資には、「土地神話」が生きている限り、土地担保は極めて簡単な方法であった。 しかも、従来は、たとえば一億円と評価される土地なら融資限度額は七千万円というように、掛け目を低くし、債権の保全を考慮していたが、早く融資しないと他の銀行に融資先を奪われる、という融資競争の中で、また地価上昇の過程でもあったので、土地の複雑な権利関係を十分に考慮することなく、掛け目を高くして、貸し込みしたのである。 こうした「赤信号みんなで渡れば・・」という、戦時経済体制から培われてきた銀行の横並び行動がバブルをもたらした。そして、バブル崩壊後には、巨額の不良債権が銀行経営だけでなく、日本経済を大きく圧迫することになったのである。 九一年六月に発覚した証券会社による大口補填も、同じく金融行政と密接に関係している。 損失補填は、他の産業でも行われている大口顧客への割引販売と見ることが可能である。しかし、自己責任でリスクをとるべき証券市場で、一部の投資家だけにリスクの低い投資機会を保証することは、自由市場の根幹にかかわる大きな問題だ。 原因の一つは、他の産業では企業の競争によって決定される手数料が、護送船団行政によって固定化されていたことにある。 ところで、これら不祥事件や不良債権問題よりもっと深刻な問題がある。金融業界を強く逞しくするはずの金融行政によって、日本の金融市場が空洞化していることだ。 バブルが拡大した八○年代の後半には、東京はニューヨーク、ロンドンと並ぶ世界三大金融センターの一角を占めると期待された。ところが、いつの間にか日本の金融機関はアメリカやイギリスの金融機関に水をあけられてしまっている。その理由は、バブルが崩壊したこともあるが、さらに重要なことは、アメリカやヨーロッパでは金融の規制緩和によって金融界に技術革新が起こったのに対して、日本の金融市場は規制によって発展を阻まれ、取り残されてしまったからだ。 このため、日本の銀行は資産規模では上位をほぼ独占しているものの、国際業務では苦戦しており、発展の著しい東アジア市場でさえも日本の競争力が弱くてアメリカ系やヨーロッパ系に後れをとっている。それだけでなく、日本国内で行われてきた業務でさえ海外に移転するようになったのである。 株式市場では、国内企業の増資が抑制され、外国企業にとっても規制が多いため、東京市場への新規上場は敬遠されている。それどころか、すでに上場していた企業でさえ香港やシンガポールに移っている。中国の企業は東京ではなくニューヨーク上場を選んだ。また、日本株を保有する海外の機関投資家は、売買手数料の高い東京市場ではなく、ロンドン市場で売買するというケースも目立っている。 債券市場では、日本では期間一年の社債は興銀などとの関係で認められないなどの規制が強く、また受託手数料を中心に手数料が高いため、日本企業でさえ海外で起債する傾向が依然として根強い。 このように、金融市場の空洞化現象は数え上げればきりがない。現在のように、原則規制の下で、業態間の利害を調整しながら段階的に自由化を図るという日本の行政のやり方では、原則自由の欧米系の金融機関に日本市場を席巻され、金融空洞化は進むばかりだ。
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