第一部 政治を変える 第一章 国民を主人公とする政治 議会制民主主義の危機だ すでに自民党単独政権が崩壊して二年になる。それでも、いまだに政治的混乱が続いている。どこに理由があるのだろうか。 自民党一党支配体制を終わらせることは、歴史的必然であり、国民の選択でもあった。このこと自体は、私は、間違いではなかったと確信している。しかしながら、この混乱があまりに長引くなら、将来に禍根を残すことになるだろう。 この二年間を振り返ってみると、自民党政権に代わって登場したのが細川連立政権であった。国民は、この内閣に変化を期待し、驚異的な内閣支持率を与えた。ところがこの内閣は、選挙制度の改革は達成したものの、変化への期待に応えることなく短命に終わってしまった。なぜこういうことになったか。 細川内閣の誕生により、共産党以外の政党はすべて与党を経験した。政治家である以上、与党の一員として政策目的を実現すのが最良である。その当たり前なことに、社会党議員も含め、共産党以外の全議員が目覚めた。その結果、これまで抵抗政党として非現実的な主張を続けてきた社会党も、現実路線に転換した。 このこと自体は、日本の政治にとってプラスだったと思う。 ところが一方では、与党政治家であること、とりわけ大臣であることのメリットに気づき、大臣病患者が与野党あまねく蔓延するようになった。その結果、政策など無視して、とにかく数を確保して与党になろう、という方向に各政党が動きだした。 この流れの中で、自民党は、その固有の政策を棚に上げて、巧妙に社会党内の五五年体制の維持を願う勢力やさきがけを取り込み、村山政権をつくりあげた。この政権は、形だけは政策合意しているといっても単なる野合である。自民党が政権に復帰する数合わせのために、五五年体制を支えたいわば“仲間”である社会党が手を貸した政権といえる。 五五年体制を維持しようとする勢力を守旧派だとすれば、守旧派が手を組んだ政権といってよい。 そうであるかぎり、国民が期待する変化に対しては何一つ応えられない。結果として、何もなしえなかった。また、何かをしようとしても、もともと基本的な政策が異なる政党が野合しているため、政権維持を優先するかぎり、なしようがないのである。 村山首相のいう「人にやさしい政治」とは、「易しい政治」、政治家にとって安易な政治にほかならない。 これが、国民の政治不信をよりいっそう募らせたのである。 こういう状況において、本来なら、野党である新進党が骨太な政策を鮮明に打ち出して、村山連立政権との対立軸を国民に提示し、訴えなければならない。私は、かねてからそう主張してきた。ところが、現状では、新進党内にも政策的なねじれがあり、対立軸を鮮明にすることができないでいる。 こうなると、困るのは国民である。政党政治といいながら、どの政党が何を考え、何をめざしているのか一向に伝わってこない。伝わってくるのは、政党や政治家の党利党略、個利個略にすぎない。政策的な議論があるとしても、どの政党も口当たりのよい抽象的な政策を看板として掲げるだけだ。 これでは、国民はますます政党に信頼がおけなくなる。その結果、東京では青島知事、大阪では横山ノック知事を誕生させた、いわゆる無党派層がひろく顕在化した。 私は、無党派層は今に始まったとは思わない。六年前の参院選で「反リクルート」「反消費税」を合い言葉に多数の連合や社会党のマドンナ候補を当選させたのは無党派層である。また、二年前の総選挙で日本新党を大躍進させたのも無党派層であると思う。既成の政治、既成の政党に飽き飽きしながら、それに代わる勢力の出現を期待して、これらに投票したのだ。 その結果、いずれも期待はずれだった。社会党は、なんと自民党の政権復帰に手を貸して選挙民を]:完全に裏切った。そして日本新党は、改革の旗こそ掲げ続けたものの、結果として芳しい成果をあげられなかった。 その結果、彼らは政党そのものに背を向け、文字どおり無党派候補に投票するか、棄権するようになったのだ。夏の参院選で、四四・五パーセントという国政選挙史上最低の投票率を記録したのがそれを示している。 これは、議会制民主主義の危機である。
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