第一部 政治を変える 第三章 しなやかでタフな社会の構築 地方政党と中央政党の連携を 最近、地方に政党をつくろうとする動きが出ている。これは、単なる地方分権を越えた動きである。 普通、地方分権といえば、単に中央政府の権限を地方に委譲する、ということだ。それはそれで意義はあるだろう。 したがって政党といっても、原理的には、国会に代表者を送らなくてもよい。地方にはその地方に特殊なテーマがあり、それを解決するのが目的だからだ。しかし、実際に地方の政治をやってみると、各地方に共通の問題、すなわち、国の法律が変わらなければ仕事ができない、という問題がある。そのためには、国を動かさなければならない。 どのように動かすか。それには二つのルートが考えられる。一つは、地方政党の代表者を国会に送り込むことである。しかし、一人か二人の代表者を出しても、国会でどれだけの働きができるのか、という問題がある。もちろん、全国の地方政党がネットワークをつくり、多数の国会議員を送り出すということは理論的には考えられる。しかし、現実には難しいのではないだろうか。 もう一つは、中央政党と連携することである。たとえば、地方分権に積極的で、なおかつ、地方の自律的政治を受け入れるような政党が存在するなら、その政党をとおして地方の意向を国の法律などに反映できるだろう。 私は、その動きに対応できる中央政党は、先述の二大政党のうち、個人主義的改革を進める政党であると考えている。官主導の日本型システムでは、地方分権そのものが進展しない。ましてや、地方に政治のコアを認めることはありえないのである。 ところで現在の自民党は、極論すれば、農民、商工業者、経済界など含め、いろいろな業界や職域団体の代表者の集合体であるといえる。いわば、圧力団体の代表者の集まりである。その自民党と比べて、地方政党と連携する中央政党とはどこがどう違うのか、という疑問が予想される。 もちろん、自民党的なシステムは、日本型システムを前提としており、その点で、個人主義的改革をめざす政党とは性格が異なっている。しかし、もっと根本的な違いは、自民党政治における政治のコアは、あくまで中央政府に一つしか存在しないことである。そして、自民党を構成する圧力団体は、パイの分け前を中央政府に要求する。陳情という言葉がそれを象徴している。 陳情である限り、主権は陳情する側にではなく、陳情を受ける側にある。 これはちょうど、労働組合が経営側に賃上げを要求するのと同じことだ。賃金を上げるかどうかは、あくまで経営側に決定権がある。ついでにいえば、労働組合を基盤とする社会党も、性格は自民党と同じなのである。 これに対して、地方政党と中央政党の連携は、上下関係や支配従属関係ではなく、対等な関係である。両側にすべてを決定する同等の主権がある。連携する権利だけでなく、離反する権利も有するのである。 言い替えれば、主権を持った同士が、共通の目標のもとに連携しているわけである。 もちろん、これが根づくには、現在のように三割自治で、何をやるにも中央からの財政援助を必要とするようでは難しい。徹底的な地方分権が不可欠だろう。
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