第一部 政治を変える 第二章 小さな政府で真の福祉を 陳情型政治の罪 個人主義的改革を進め、市場競争の原理を基本とした国づくりを考える場合、一つの難点は、社会的弱者や競争に破れた人々をどう救済するか、という問題がある。 これまでの官主導の日本型システムでは、すべてお上が責任を持って世話することになっている。そうなると、必ずや財政が膨らみ役人の数は増えて「大きな政府」になる。もちろん、先述のように、財政規模の点では、ヨーロッパに比べて日本の政府は大きな政府とはいえないかもしれない。それには複雑な要因がからんでいるとはいえ、これまでの福祉が必ずしも十分とはいえないことの裏返し、という側面もある。 それでも、ここ二、三十年間に政府は福祉充実や公共投資の名目で財政赤字をつくり、累積債務は中央レベルで二百兆円を突破しているのである。地方自治体も百兆円以上の債務を抱えいる。赤ちゃんも含めて、国民一人当たり三百万円ほどの借金を抱えていることになる。 もちろん、財政赤字は、国債を国民が保有している限り国民の財産であるという意見がある。とくに建設国債は、国土の基盤整備という形で後世に残る財産であるという議論がある。しかしながら、赤字が膨らみすぎると、利払いに追われて財政が硬直化する恐れがあり、国土基盤整備にしても、技術革新のため後世においては無用の長物になっていないとも限らない。 もしそうなれば、そのツケは、いったい、誰が払うのだろうか。現役世代の子供や孫である将来世代である。もちろん、将来世代が十分にツケを払える状況であればそれほど深刻ではないかもしれない。しかし、経済成長はすでに限界に達している。そのうえ子供の出生率がいまなお低く、少子化がいわれている。反面では、働けない高齢者の数はどんどん増える見込みなのである。 そういう中で、将来世代はどのようにして現在の借金のツケを払えばよいのだろうか。これ以上、財政赤字が増えないようにしなければならない。 しかし、だからといって、現存する社会的弱者を放置することはできない。高齢化がさらに進み、老人介護の需要はますます大きくなる。 どうするか。 問題は、「小さな政府」と手厚い社会福祉をどう両立させるか、である。 私は、国民を主人公とする政治であるかぎり、国民の手でこの二律背反を克服する必要があると思うし、また、できると思っている。解決の糸口は、阪神大震災のときに各界の注目を浴びたボランティア活動であり、その他の民間活力だ。後に触れるように、政府も最大限の福祉活動をするとしても、民間から自発的に出てくるこうしたエネルギーを最大限に生かすことが重要だ。 ボランティア活動は、すでに欧米では完全に定着している。それに対してわが国では、まだまだ未発達である。これは、官主導の日本型システムでは、すべてがお上を頂点にして秩序だてられ、民間の自発的な活動を最初から予定していないからだ。このため、たとえ個人的にボランティアをやりたい人がいても、せいぜい街の掃除をするぐらいで、どこで何をやるか、活動の場がない。 これに対して欧米では、教会の慈善活動という伝統が古くからあり、ボランティア活動の土壌をつくってきた。 もちろん、日本にも非営利団体(NPO)があるにはある。しかし、それは民間の自発的活動というより政府活動の一環に組み込まれている。活動している人々も、極端にいえば政府から勲章を貰うことを最終目標にしている。 これを潔しとしない人々は、いわゆる市民運動のような団体に所属している。しかし、これらはイデオロギー的な色彩があって、一般国民に深く浸透し広がりを持っているとはいえない。むしろ、社会党などを窓口にして政府に陳情し、わずかの補助金を手にして満足してしまうような傾向さえある。 この状態を地域社会との関係で考えれば、次のようになる。 日本の従来型の地域社会は、象徴的な意味で町内会型といえる。あるいは、町内会長が町の中を支配しているという意味で有力者支配型ともいえるだろう。そこで暮らしている人々の意識は、集団主義的なものの考え方で、長いものには巻かれろ、自分が目立つよりは全体の和を尊重する、という価値観に支配されている。 こういう社会では、意思決定は自分で行うのではなく、有力者の決定に従う。極端にいえば、町のことは町内会長に任せよ、ということだ。したがって、町のいろいろな活動に参加するのも、受動的、強制的になる。「○○ぐるみ」という言葉がそれを象徴している。 町の人々は、「ぐるみ」参加によって同じ町の住人という意識が強められ、住民同士の同質性が保証される。そして、何かまずいことが起きると、個々の住民や集団が責任を負うのではなく、住民は「町内会長が悪い」といい、町内会長は「行政が悪い、役人が悪い」といい、このように責任を順送りにして、結局、誰も責任をとらない。 大臣が選挙区をまわると、必ず地元住民が要所要所に集まり、町の有力者が、ここに道路をつくって欲しいなどと陳情する。そばには建設局の役人が控えて、それがなぜ必要か、つくればどういう効果があるか熱弁をふるう。このような陳情政治も、従来型の地域社会を土壌にしてなされるわけである。
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