先日はTKC創業者の飯塚家が運営する飯塚毅育英会主催の記念講演会だった。講演者は白鴎大学長で、かつてフォークグループ「フォーク・クルセダース」の北山修先生。精神科医でもあり日本人の意識、精神の特徴を研究されている。
クルセダースと言えば、最初のヒット曲が「帰ってきたよっぱらい」。回転数を早めた独特の音で我々若者を魅了した。2作目が北朝鮮の歌「イムジン河」のカバーだったが、これは国際問題を引き起こすとして、レコード発売禁止。放送も自粛となった。私はそのとばっちりを受けた。
中学2年の合唱コンクールで、私の組はこの曲を歌うはずだった。しかし発禁を受けてコンクール直前に曲目変更、ベートーベンの讃美歌で何とか優勝できた。3年の時はリベンジで、グループ仲間のはしだのりひこさんの「風」を歌った。
今回は因縁の出会いだなと思いつつ、北山先生の講演を聴いた。日本には旅の歌が一杯あるが、皆どこにも辿り着かない。欧米の旅の歌は天国に着くことが多い。それだけ日本人は「むなしさ」を身近に感じて生きている。確かに「遠くへ行きたい」も「岬めぐり」も、「いい日旅立ち」も、どこにも着かないのだ。
しかし日本人はこの「むなしさ」に苦しみを感じているのではなく、むしろ喜んで受け入れてきた歴史がある。それを味わった時、歌が生まれ、詩が書かれ、小説が著されてきた。ところが今の人々はそれから逃れるために、スマホをいじり、「間」を詰めようとして躍起になっている。それでは人間がダメになってしまう。
「むなしさ」はむしろ芸術を生み出す基であり、人間味を増すチャンスであると北山先生は力説する。その洞察力に、勢い込んでかぶりつきに陣取った私は、すっかり虜になってしまった。「むなしさ」を受け入れ、むしろそれを良い方向に仕向ける力量を身に付けたいものだと、心から思った。